2022年5月30日

シンディ・シャーマンのインスタグラム写真

Instagram photo by Cindy Sherman

ずいぶん前のことだが、スマートフォンを手放したついでにインスタグラムのアカウントも削除した。インスタグラムは即時性に意味があると思ったからだが、考え直して PC 版を導入、アカウント @fotokiddie を再取得した。直接のきっかけは、新型コロナウィルス感染症パンデミックで会うことがままならない、東京に住んでいる娘のインスタグラム写真を観るためだったが、遅ればせながら自分でも投稿してみようかという魂胆だ。

Cindy Sherman (2019)

上掲の写真はアーティストのシンディ・シャーマン(1954年生まれ)のインスタグラムである。彼女の作品を観たのは1996年夏、滋賀県立近代美術館での回顧展だった。巨大なカラー写真に圧倒されたことを憶えている。70年代後半、良く知られた映画のワンシーンを自ら演じた「アンタイトルド・フィルム・スティル」でデビュー、現代美術を語る上では欠かせない作家となった。92年以降は性の問題を手掛けた「セックス・ピクチャー」シリーズを展開し、常に時代の最前線で活躍している。その彼女がインスタグラムのアカウントを公表、ネット上に作品を展示しているというニュースが入ったのは2017年ごろだったと記憶している。彼女はタペストリーとインスタグラムを融合させたが、昨年5月11日付けヴォーグ誌のインタビューで「タペストリーのアイデアから離れることができず、また、気に入ったインスタグラムの投稿をどう作品に落としこもうか迷っていました。インスタグラム用の写真は、すべてスマートフォンか iPad で撮影したものなので、大判の写真作品には向きません。しかし、タペストリーであればピクセルのように組み立てられるので、インスタグラムの写真を再現するのに最適だと気づいたんです」と語っている。英国のバンクシーは1,122万人という破天荒なフォロワーを誇っているが、シャーマンの36.4万人は、知名度の割に立派な数字だと思う。以下リンク先はインスタグラムを利用している100人のアーティストのリストである。

Instagram  100 art-world Instagram accounts to follow right now — Artists © 2022 Christie's

2022年5月27日

ロシア軍のウクライナ侵略で浮かび上った旧日本軍の亡霊

Two Down- One to Go
Hitler and Mussolini accounted for leaving only Hideki Tōjō of Japan to be defeated

これは1945年4月28日に米陸軍省のために政府印刷局が発行したパンフレットの表紙の挿絵で、日独伊三国同盟のドイツのルドルフ・ヒトラー、イタリアのベニート・ムッソリーニ、日本の東条英機が描かれている。イタリアとドイツが降伏したため、ヒトラーとムッソリーニの顔に×印がついている。消されていないオリジナルは1942年に制作され、他の印刷物にも掲載されていたようだ。作者のアーサー・シック(1894-1951)は陸軍省、特に戦時国債の販売に必要な美術品を惜しげもなく提供したことで知られている。山本五十六元帥(1884-1943)の肖像は、政治風刺戯画の傑作である。真珠湾奇襲攻撃のわずか2週間後の『タイム』誌1941年12月22日号の表紙を飾ったこの作品は、最大の軍事的失敗の余波の中で、優秀で危険な敵に対する恐怖と尊敬を自然に表現したものである。原画の所在は不明だが、カラースライドを所有している米連邦議会図書館は「日本の侵略者」というタイトルを付けている。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は3月16日に行われた米連邦議会のオンライン演説で「真珠湾攻撃を思い出してほしい 1941年12月7日、あのおぞましい朝のことを」「あなた方の国の空が攻撃してくる戦闘機で黒く染まった時のことを」と訴えた。

Isoroku Yamamoto
Admiral Isoroku Yamamoto by Arthur Szyk

これに対し反発した日本人が多かったようだが、残念ながら「本質的には報道規制で国民が洗脳されてるロシアとそんなに変わらない」と思ってしまう。真珠湾奇襲による米側の主な損害は、戦艦5隻が沈没したほか、戦艦4隻、巡洋艦、駆逐艦各3隻が損傷、飛行場への攻撃で航空機188機が破壊された。人的被害も戦死行方不明者が2,300人を超えたが、ニューズウィーク誌によると民間人死者は68名、負傷35名となっている。この点がゼレンスキー大統領の「真珠湾発言」への強い反発となったようだ。山本五十六元帥は日本を遥かに上回るアメリカの工業生産力を熟知しており、戦争が長期化すれば到底勝ち目がないことを知ってい。そのため日米戦に反対していた。しかし開戦が避けられないならアメリカ海軍にできる早く大きな被害を与えて早期に講和に持ち込むという筋書きを山本は考えたのである。しかし宣戦布告のないままの奇襲にアメリカ側は「騙し討ち」だとして即座に日本に宣戦を布告、さらに欧州戦線にも参戦をすることを決めて第二次世界大戦は一気に拡大することになる。日本は自分たちが始めた戦争を一体どこで止めるのかという戦略がなく泥沼化して行ったのである。プーチン大統領は、旧日本軍の陸軍大将で第40代内閣総理大臣だった東條英機とオーバーラップする。

painting Arthur Szyk (1894–1951) | Biography, Soldier in Art, News & Events, Contact | Historicana

2022年5月23日

残虐戦争犯罪者プーチン大統領風刺画集

Anti-tank hedgehogs
Anti-tank hedgehogs ©Oleksiy Kustovsky
Putin after May 9!
Putin after May 9! ©Becs
Russian Victory Day !! ©Hassan Bleibel
Putin's war crimes
Putin's war crimes ©Tjeerd Royaards
The Butcher of Bucha
The Butcher of Bucha ©Maarten Wolterink

ニューズウィーク日本語版の記事「ウクライナで苦戦するロシア軍、その失敗の本質」が目に止まった。筆者のグレン・カールは米国の元 CIA 諜報員だっただけに、ソビエト連邦の元 KGB 諜報員だったウラジーミル・プーチン大統領の分析に鋭さを感ずる。曰く「ウクライナでのロシア軍の戦いぶりは、その歴史と軍事ドクトリンを反映したものだ。第2次大戦時のスターリンの赤軍以来、ロシア軍は同じことを続けている。民間人を標的にし、相手国の戦闘員と民間人の人権を侵害する。大砲やロケット弾、装甲車、兵器と兵力を大量に投入する一方で、兵站を軽んじる」云々。民間人を標的にするのは戦争犯罪だ。ところがロシアの軍事ドクトリンは、民間人を戦争における正当な標的と見なしているという。ロシア軍の残虐性も、将来の紛争に受け継がれる可能性が高いという。ロシア軍にとって戦況は著しく落ちているが、打開策としてプーチン大統領が核ミサイルの発射ボタンを押すのかもしれない、という悪夢が脳裡を掠めてしまうのは私だけではないだろう。

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2022年5月20日

早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった

Paul, Stella and James, Scotland, 1982
Paul, Stella and James, Scotland, 1982

Paul and Linda McCartney (1973)

リンダ・マッカートニーは、アメリカの動物愛護活動家、音楽家、写真家だった。ビートルズの創設メンバーであるポール・マッカートニーと結婚し、それが世界に知られる由来となった。ふたりはマッカートニーのバンド、ウィングスを結成した。1962年にジョセフ・メルヴィル・シー・ジュニア(1938-2000)と結婚したが、わずか1年足らず1965年6月に離婚、娘のヘザー・ルイーズを親権者になった。リンダはベジタリアンのためのレシピ本を書き、ビジネスウーマンとして、また写真家として活躍した。彼女は「顔のあるものを食べるのは好きではない」と説明している。彼女の本にはシンプルで感動的なレシピが載っていた。その結果マッカートニー夫妻は動物愛護の活動家になった。リンダは1941年9月24日生まれ、ニューヨーク州ウエストチェスターで育った。1959年にスカースデール高校を卒業後、アリゾナ大学に入学し、ファインアートを専攻する。リンダは「タウン&カントリー」誌の受付嬢として働き、レコード推薦パーティの際に、ローリング・ストーンズを記録することを許された唯一の写真家であった。

Beatles at Brian Epstein's home
The Beatles at Brian Epstein's home, London, 1967

その後、コンサートホール「フィルモア・イースト」で、リンダは人気のグルーピーとなる。ビートルズのポール・マッカートニーと1969年3月12日に結婚しリンダ・マッカートニーになる。ジョン・レノン、アレサ・フランクリン、ジャニス・ジョプリン、ニール・ヤング、ジミ・ヘンドリックスなど、さまざまなアーティストを撮影した。1967年に撮影したヤングの写真は「シュガー・マウンテン」に掲載され、2008年に「カンタベリーハウスのライブ」の表紙を飾った。1970年にビートルズが解散した後、マッカートニー夫妻はアルバム『ラム』を録音し、リンダは夫のグループ、ウィングスに参加することになる。このグループはグラミー賞を多数受賞し、当時最も不敗のバンドとなった 世界中の人々がビートルズに親しみを持った。

tallion and the Standing Stone
The Stallion and the Standing Stone, Scotland, 1996

ロック界のアイドル、エリック・クラプトンを撮影したリンダは、女性として初めて『ローリングストーン』誌の表紙を飾った。また、ポールと一緒にこの雑誌の表紙を飾った。自分が撮影した写真と、自分自身の写真が誌面に掲載されたのは彼女だけだったというのは、非常に賞賛に値する。マッカートニー夫妻は1988年の『ブレッド』のエピソードや『ザ・シンプソンズ』の1話「リサ・ザ・ベジタリアン」にも出演している。国際的な50のギャラリーが彼女の作品を展示した。1993年に写真集『リンダ・マッカートニーの60年代』 1993年に写真集『時代の肖像』が出版される。 マイケル・ジャクソンとポール・マッカートニーのシングル「ザ・ガール・イズ・マイン」のジャケットはリンダが撮影したものである。

Jimi Hendrix
Jimi Hendrix Experience, London, 1967

1995年、リンダ・マッカートニーは不幸にも乳がんと診断された。がん細胞が肝臓に転移、病状はより悪化した。彼女は3年間がんと闘い、1998年4月17日にアリゾナ州タスカンで死去、56歳だった。彼女の死後、リンダとオスカー・グリロ監督による6分間のアニメ映画『ワイド・プレイリー』が1998年8月にエジンバラ国際映画祭で初公開された。テレビアニメシリーズ「シンプソンズ」の200回目のエピソード『スプリングフィールドのゴミ戦争』はリンダに捧げられた。そしてミレニアムが始まった2000年、テレビ映画『リンダ・マッカートニー』でゲイリー・ベイクウェルとエリザベス・ミッチェルがカップルを演じた。リンダは職業としての写真ばかりでなく、家庭生活、そしてミュージシャンとしての作品も残している。

aperture_bk Linda McCartney (1941–1998) | Biography, Exhibitions, Portfolios, Books and Contact