2018年12月29日

グーグルのブログ Blogger に Twitter カードを実装する

どのようにして Twitter カードを Blogger に加えるのか

ソーシャルメディア Google+ が来年4月に終了するので、ふと思いつき Twitter のアカウントを再取得して再開した。ブログ更新情報をツイートするのがひとつの目的で Twitter カードを利用することにした。Twitter カードとは Twitter 上での OGP 設定を指す。OGP とは Open Graph Protocol(オープン・グラフ・プロトコル)の略称で Facebook、Twitter、Google+ などのソーシャルメディアと連携し、シェアされたときに、ページのタイトル、概要、画像、動画などを正しく伝えるために HTML ソースに記述するタグ情報である。画像と動画が表示されるため、テキストのみより目立つという効果が期待される。使用しているグーグルのブログサービス Blogger には、Twitter に対してこの機能が備わっていないので実装することにした。導入方法はブログ運営情報サイト「Blogger101@ブロギングライフ」に詳しいので、そのまま援用させていただいた。ダッシュボードから「テーマ」「HTMLの編集」と進み </head> の上に以下のコードを追加した。
<!--START Twitter Card -->
<meta content='summary' name='twitter:card'/>
<meta content='@で始まるTwitter ID' name='twitter:site'/>
<meta content='@で始まるTwitter ID' name='twitter:creator'/>
<meta expr:content='data:blog.homepageUrl' name='twitter:domain'/>
<b:if cond='data:blog.pageType == "item"'>
<meta expr:content='data:blog.canonicalUrl' name='twitter:url'/>
<meta expr:content='data:blog.pageName' name='twitter:title'/>
<b:else/>
<meta expr:content='data:blog.homepageUrl' name='twitter:url'/>
<meta expr:content='data:blog.pageTitle' name='twitter:title'/>
</b:if>
<b:if cond='data:blog.postImageUrl'>
<meta expr:content='data:blog.postImageUrl' name='twitter:image'/>
<b:else/>
<meta content='デフォルト画像のURL' name='twitter:image'/>
</b:if>
<b:if cond='data:blog.metaDescription'>
<meta expr:content='data:blog.metaDescription' name='twitter:description'/>
</b:if>
<!--END Twitter Card -->
コード内の「デフォルト画像の URL」は、記事に画像が含まれていない場合に使用する画像で、サマリーカードか、大きい画像付きサマリーカードにあったサイズの画像の URL を使用する。設定していないと URL をツイートに添付した時に画像が表示されないという。最後に Twitter Cards Validator で表示テストして問題がなかったので、実装が終了した。ブログ記事をツイートたところ、見映えが向上したのは言うまでもない。

Twitter  ツイート:さようなら 2018 年 安倍晋三が首相である不幸

2018年12月28日

さようなら 2018 年 安倍晋三が首相である不幸

北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

写真は今月25日、北野天満宮の縁日「終い天神」で撮影した骨董羽子板である。やれやれ今年も終わったと思うと共に、この時期に交わされる「良いお年を」という挨拶が躊躇われる。壊憲を虎視眈々と窺う安倍晋三の影がちらつき、軍靴の響きが日ごとに大きくなってきたからだ。
  • 3月28日;衆参予算委員会で森友学園への安倍総理や昭恵総理夫人の関与についてに否定
  • 5月18日:米国を除く環太平洋パートナーシップ協定の新協定 TPP11 の承認案が可決
  • 5月25日:働き方改革関連法案を本会議終了後に衆議院厚生労働委員会で同法案を可決
  • 6月15日:統合型リゾート実施法案を衆議院内閣委員会で自公明と日本維新の会の賛成多数で可決
  • 9月20日:自由民主党総裁選挙執行され現職の安倍晋三首相が石破茂元幹事長を破り3選
  • 12月8日:外国人労働者の受け入れ拡大を目的とした出入国管理法改正案を参議院本会議で強行採決
  • 12月5日:衆議院厚生労働委員会で水道法改正案が採決を強行して可決
  • 12月14日:名護市辺野古の新基地建設を巡り政府が護岸で囲った埋め立て区域に土砂を投入
列挙してみたが、見落としている事案があるかもしれない。前エントリーで国際捕鯨員会脱退について触れたばかりだが、国際協調を欠いた暴挙で、外務省が慌てて「国際連盟脱退と異なる」と弁解する始末である。捕鯨に関して日本は孤立状態にあったが、それが助長されてしまうことに気づかないようだ。東京五輪や大阪万博に夢を託すのは愚かだ。その先にあるのは方舟に乗って漂流する惨めである。

2018年12月27日

近海商業捕鯨は成り立つか


大洋ホエールズを知っているだろうか。1949(昭和24)年に大洋漁業が設立したプロ野球の球団で、現在は横浜 DeNA ベイスターズに引き継がれている。その大洋漁業の前身は大洋捕鯨株式会社で、1936(昭和11)年に南氷洋捕鯨を開始した。要するにホエールズは鯨を意味し、マルハブランドの鯨缶を子どものころ食べた記憶がある。兵庫県明石市が本拠地だったが、後に山口県下関市に移転した。安倍首相が国際捕鯨委員会(以下IWC)脱退を後押ししたそうだが、下関が選挙地盤だからと言われている。IWC 脱退表明をしたが、主要7カ国(G7)の一つである日本が国際協調から離れるのは異例で、批判のリスクも残る。すでに豪州や英国などから批判を浴びている。来年7月から領海や排他的経済水域(EEZ)で商業目的の捕鯨を再開するそうだが、果たして産業として成り立つだろうか。水産庁は IWC 脱退の決定を受け、調査捕鯨の拠点である下関で沖合操業を復活させ、同時に和歌山県太地町など全国6カ所でミンククジラなどの沿岸捕鯨をする構想を描いているという。しかし鯨肉の需要は激減しているし、経済的自立は難しいのではないだろうか。京都市内には鯨肉料理店がないので縁遠くなったが、大阪で仕事をしていたころはよく食べたものである。特に道頓堀のおでん屋「たこ梅」のサエズリ(ヒゲクジラの舌)の関東煮が絶品だったことを思い出す。しかし1串 900 円と高価。鯨肉は今や高級食材で、昔を懐かしむ懐古料理化している。消費が伸びるとは考え難く、捕鯨の未来は暗い。

2018年12月25日

グラフ誌『ライフ』はフォトストーリーのお手本だった


1935(昭和10)年11月6日号
かつて『アサヒグラフ』の仕事をしていたのだが、羨ましいのが米国『ライフ』のスタッフだった写真家たちである。というのは 10 年前からグーグルが『ライフ』の写真アーカイブを公開しているからだ。実は『アサヒグラフ』も、誌面イメージが「聞蔵(きくぞう)Ⅱビジュアル」にライブラリー化されている。しかし残念ながら収録されているのは、創刊号から1956(昭和31)年12月30日号までで、入社以前の誌面である。ところで大学時代私は写真工学を学んだことになっているが、今持ち合わせているその知識は極めて貧弱なものである。というのは途中で大幅な進路変更をしたからだ。本来なら写真工業関係の技術者になったかもしれないが、カメラやフィルムを作る側ではなく、それを使う側、つまりフォトジャーナリストになろうと人生の指針を変えてしまったのである。きっかけは何気なく手にした『ライフ』のフォトルポルタージュであった。作者はゴードン・パークス(1912–2006)。写真ばかりではなく、映画や文学、音楽など多岐にわたる分野で活躍した作家であった。舞台はリオデジャネイロの貧民窟ファベーラ。正確なタイトルは失念したが、貧困の中の生と死がテーマだったと記憶している。頂上にキリスト像が聳える丘の斜面に住む人々は、あのカーニバルを支えている。貧しいけど、人生に対し前向きなでエネルギッシュな人たちだ。

ゴードン・パークス(1960年ごろ)
今でも決して治安は良くないらしいが、その生活をパークスはモノクロで活写していた。ずっと後になって知ったのだが、彼は『ライフ』のスタッフとしては、初めてのアフリカ系アメリカ人であった。週刊誌だから毎週発行される。だから、その写真に触れることができたのは、ある意味で偶然だったかもしれない。これだ、これだ、フォトジャーナリストになろう、と私の胸は騒いだ。そして夏休みのバイトで稼いだお金で一眼レフカメラを購入したのである。この『ライフ』は1936年に登場したが、その表紙を飾ったのが、ニューディール政策の一環として作られたモンタナ州のフォート・ペック・ダムの写真だった。撮影は女性写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)だった。創刊とともに家庭雑誌として大成功を収め、最盛期には860万近い定期購読者を確保したそうである。その成功は「写し出された世界は光に満ち溢れ、影はごくわずかしかなかった。それは究極的には作り物の世界であり、大衆に作り物の希望をかきたてる世界だったのだ」だとジゼル・フロイントは『写真と社会』の中で分析している。それはともかく、この雑誌は私の先生であった。特にグラフ誌において、いかにフォトストーリー(組写真)を組むか、格好のお手本であった。1972年12月に『ライフ』はその歴史を閉じた。フォトジャーナリズムの一時代が終焉したのだが、皮肉なことに、タイム社の株価が急騰したそうだ。廃刊によって強大な赤字を切り捨てることができたからである。