2018年5月29日

英王室一家のジャグバンド

Royal Family Jug Band

Official Royal Wedding Photo ©Alexi Lubomirski (Click to large)
ソーシャルメディア Facebook でご覧のようなパロディ写真を見つけた。Folk Musician Memes というページに投稿された合成写真だが、制作者不明で、説明はついてない。見ればわかるという訳だろうか。オリジナルは5月19日(現地時間)に開かれた英王室のヘンリー王子とメーガン・マークル妃の結婚式の公式記念写真3枚のうちの1枚である。ウィンザー城のグリーンドローイングルームで、撮影したのはヘンリー王子夫妻の婚約写真を撮影した、アメリカで活動している写真家、アレクシー・ルボミルスキー氏である。合成写真では子どもたちが省かれ、ヘンリー王子がギター、メーガン・マークル妃がバンジョー、ウィリアム王子がフィドルを手にしている。面白いのは、エリザベス女王が持っている楽器がウォッシュボード (洗濯板)であることだ。身の回りにあるものから作られる手製の楽器で、ジャグバンドに使われる楽器である。英王室は庶民から親しまれているが、女王が洗濯板とはいささか驚く。日本の皇室だったらどうかと一瞬思ったが、そもそもパロディ写真を公表する雰囲気ではないというのが現実だろう。蛇足ながら後列にいるカウボーイハットの男は誰だろう。オリジナルの写真には写っていないが、もしかしたら合成写真の制作者自身かもしれない。

2018年5月23日

太秦広隆寺の弥勒菩薩像と再会

国宝木造弥勒菩薩半跏思惟像(朝日新聞社『上代の彫刻』1942年)

広隆寺講堂(京都市右京区太秦蜂岡町)
薫風に誘われ、弥勒菩薩像に再会したくなり、広隆寺に出かけた。仁王門をくぐると重文の講堂が視界に入る。参拝の栞の境内図には「赤堂」と括弧書きしてあるが、なぜそう呼ぶのか不明である。地蔵菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像を安置しているはずで、格子戸から覗いてみたが、暗くてよく分からない。さらに参道を進むと上宮王院太子殿に至る。いわば本堂で聖徳太子立像が安置されているそうだが、秘仏で、秋の開扉を待たないと拝観できない。太子殿を右に奥に進むと、念願の弥勒菩薩像が座してる新霊宝殿に辿り着いた。照明を落とした中は暗く、目が慣れるまでしばらく時間がかかった。創建当時の仏像や天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉の各時代に造立された仏像が壁に沿って一列に並んでいる。弥勒菩薩像は北側真ん中にある。過去に二、三度ほど拝観しているが、何度見ても美しいと思う。やや距離があり、細部を観察するための双眼鏡を忘れたことをちょっぴり後悔する。賽銭箱があるものの、仏教寺院内陣特有の天蓋などの装飾がここにはない。外観は和風だが、鉄筋コンクリートの耐火建築で、いわば博物館である。寺は二度の火災に見舞われたにも関わらず、多数の仏像が難を逃れた。そういった歴史的背景があるのだろうけど、信仰の対象というより、仏教美術品という側面が強調されるきらいは免れないだろう。仏教美術というとアーネスト・フェノロサを思い浮かべる。寺僧は猛反対したが、法隆寺夢殿の秘仏救世観音の厨子を、200年の禁を破って開けさせたのである。これを機会に、仏像や仏画が信仰と対象であると共に、芸術作品という概念を日本人に植え付けたといえる。フェノロサについては「貴重な日本美術を海外へ流出させた」と批判する意見があるが、彼の調査を元に1897年(明治30)、文化財を国宝に指定して保護する「古社寺保存法」が制定されたのである。明治維新後に発生した、廃仏毀釈という凄まじい嵐が吹き荒れた。多くの仏教寺院の伽藍や仏像が破壊されたが、それに歯止めをかけたのは「国宝」という新しい概念だったのではないだろうか。この弥勒菩薩像は国宝第1号として知られるが、その美しさに触れることができるのは、フェノロサのお陰とも言えそうなのだ。

2018年5月22日

京大のタテカンは学生街の原風景

京都大学(京都市左京区吉田本町)2018年5月21日

2012年8月16日(クリックで拡大)
京都市左京区の百万遍交差点を通りかかったら、南東角の京都大学の擁壁の上の植え込みに、シャツが洗濯ものを干すがごとく吊られていた。学生たちが設置したタテカン(立て看板)が、擁壁への屋外広告物の設置を禁じた京都市条例に違反するとして市が大学側に通告、大学側がこれに従って既存の看板を撤去したことがことの始まりだった。これに対し学生たちが反発、看板の立て直しをしたが、大学側はこれを再び撤去した。その後も攻防が続き、イタチごっこになっているようだ。京大のタテカンは半世紀の歴史を持ち、学生街独特の景観、すなわち原風景なのだが、景観を理由に撤去とはまさに皮肉である。左の写真は2012年夏、五山送り火の日に通りかかったときの光景だ。反原発を訴えるタテカンの書体が「ゲバ字」もどきで懐かしく思わずシャッターを切った。1960年代末から70年代初頭にかけてここで学園紛争を取材した光景が、走馬灯のようにぐるぐる回り、不覚にも涙腺がゆるんでしまったことが思い出される。京都市立芸術大のギャラリーでタテカンの展示会があったが、ガラスケースの中の野鳥、すなわち剥製化したと同様である。企画は理解するが、街頭にあってこそ看板である。この先の展開は不透明だが、再びタテカンが並ぶことを望みたい。京都の大学が昨今の右傾化に飲み込まれず、リベラルな学生運動、平和運動の砦であり続けて欲しいという気持ちでいっぱいだ。

2018年5月19日

ヘミングウェイ『武器よさらば』史実との乖離


新潮文庫2006年
この DVD はいつごろ購入したのだろうか、ワンコイン、500円だった。著作権が切れたため、このような安価な DVD が作られるようになったようだ。1932年に公開された、ゲイリー・クーパー、ヘレン・ヘイズ主演、フランク・ボーゼイジ監督作品のこの映画、メロメロなメロドラマに辟易して、途中で鑑賞を放棄したことを憶えている。思うところがあり、最近再び観たが、やはり最後までは付き合えなかった。野戦病院のセットなど、参考になったが、美男美女のハリウッド映画、またしてもついて行けなかった。転じて今度は原作を手にしてみた。大昔、読んだはずだが、いつだったか、そして内容もすっかり忘れていた。DVD の解説に「ヘミングウェイの自伝とも云われ」とある。一人称で書かれているので私もそう思っていたが、実は違うようだ。物語はカポレットの戦い、すなわち1917年10月24日から11月9日にかけて、イタリアのカポレット(現スロベニアのコバリード)で戦われた戦いを背景にしている。弱体化したオーストリア=ハンガリー帝国軍に対し、ドイツ帝国軍が援軍を派遣、イタリア軍が壮絶な敗走を余儀なくされた戦いだった。
ミラノには早朝到着し、貨物駅の構内で下ろされた。傷病兵搬送車でアメリカ赤十字病院まで運ばれた。搬送車の担架に横たわっていると、町のどの部分を通過しているかわからなかったけれども、最後に担架ごと下ろされたとき、市場とワイン・ショップが見えた。ワイン・ショップはすでに開店していて、若い娘が店の前を掃いていた。道路には水がまかれている最中で、早朝の匂いがした。担架を下ろしてくれた男たちが中に入り、門衛と一緒に出てきた。
アメリカ赤十字は、1917年の時点では傷病兵搬送車部隊をイタリアに派遣していなかったし、病院をミラノに開設していなかったという。従ってこの記述は史実と異なる。ヘミングウェイがイタリアに渡り、傷病兵搬送車要員として前線に配置されたのは、1918年6月だった。つまり『武器よさらば』以降であった。戦争体験はむしろ『日はまた昇る』と重なっている。ヘミングウェイは事実を報ずるジャーナリストでもあった。にも関わらず史実と乖離した記述をなぜしたのだろうか。自らの戦争体験を表現するには、カポレットの敗走こその主題に相応しいと考えたに違いない。つまりフィクションが、物事の真実を顕在化させる、と解釈すべきだろう。彼が描きかったのは、自分の体験ではなく、戦争の悲惨だったからに違いないからだ。読了後、続いてヘミングウェイの、まさに自伝的小説といえる『日はまた昇る』を手にした。これまたかつて少年時代に読んだのだが、再読によって新たな感動を覚えた。史実との乖離を犯して書かれることになる、フィクション『武器よさらば』の戦争体験昇華の秘密を、垣間見たような気がする。