2018年2月28日

広沢池石造十一面千手観音立像奇譚

広沢池石造十一面千手観音立像(京都市右京区嵯峨広沢町)

広沢池の西側を北へ少し歩くと、京都市の案内板が立っている。それによるとこの辺りは旧遍照寺の境内であったとある。史書によると遍照寺は平安時代中期、永延三年(989)に宇多天皇の孫、寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものだという。池中の観音島へは橋が架けられ、金色の観世音菩薩を祀る池の寺として繁栄したという。応仁の乱で廃墟と化したが、奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音菩薩立像は草堂に移され、文政十三年(1830)に舜乗律師により復興された。現在の伽藍は広沢池の約二百メートル南、右京区嵯峨広沢西裏町にある。ところで観音島だが、十一面千手観音像が静かに立っている。金色のそれではなく無彩色の石造で、高さは約160センチ、安山岩製である。頭上には十一面の化仏をあらわし、千手脇手を持った丸彫りの石仏である。宇都宮市大谷にある千手観音のように、岩山に仏像を刻む磨崖仏ならともかく、丸彫りの石造ゆえ、脇手を伸ばすことが不可能のようだ。遠目には何やら荷を背負っていると錯覚しそうな姿であるが、空中の千手を想像するのも一興であろう。背面には「願主本国伊勢生武州江戸住家家次(花押)寛永十八年月日造立之 作但称(花押)」とある。その願主、樋口平太夫は、御室仁和寺の隣にある五智山蓮華寺の寺伝によると「豊臣家の家臣で、大阪落城後は同士とともに海外に雄飛したが、罪科に問われ同士は悉く斬られて、彼だけは死を免れた。その後江戸の材木商として財を為したが、日夜安堵に得ず、亡き同士一族の冥福を祈るため諸国遍路の旅に出る。寛永十二年(1635)入洛し、鳴滝音羽山にあった蓮華寺の荒廃を知るや再興を発願、六年の歳月をかけて寺院、石仏群を完成した」という。

五智山蓮華寺の石造如来座像(京都市右京区御室大内)
その五智山蓮華寺の境内には薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦の五如来石仏がある。これは樋口平太夫が木喰僧坦称上人に彫刻を依頼したものである。音戸山山頂に安置されていたが、戦後、現在の場所に移動したという。ところで広沢池の十一面千手観音像はその銘から推測できるように、蓮華寺の音羽山から流失した五体の石仏のひとつで、明治以降に借り出されという。寺には借用状が保存されているというのだ。要するに観音島に観音像が欲しい、ということだったと想像される。それでは他の四体はどうしたのだろうか。佐野精一著「京の石仏」によると、二仏は下京区不明門通松原上ルの平等寺、俗に因幡薬師と呼ばれる本堂の西にあるという。右が毘沙門天、左が金剛夜叉明王で、以上の三仏は早くから分かっていたという。そして残る二仏を発見したのは、昭和五十年(1975)秋のことで、山科区御陵大岩の本圀寺にあったという。山積みの石材の中に、十一面観音と勢至菩薩像があることに気づき、背面には例の銘があったという。ぜひ一度訪問してお目にかかりたいが、何しろ1970年代に出版された古書なので、現在どうなっているかは不明である。

2018年2月25日

カーター・ファミリー★人生には陽が当たる日も曇る日もある

Carter Family at XERA Radio Station, Del Rio, Texas in 1939. A.P., Janette, Bill Rinehart, Sara and Maybelle in back, Helen, Anita and June in front.

カーター・ファミリーはジミー・ロジャースと並んで、カントリー音楽の最初のスターだった。アルヴィン・プレザント・カーター、彼の妻サラ、弟の妻メイベルで結成されたこのグループが、その後のアメリカンルーツ音楽シーンに与えた影響は計り知れないものがある。ウディ・ガスリー、ビル・モンロー、ドク・ワトソン、ボブ・ディラン、エミルー・ハリスなど、その信奉者、後継者を上げたら枚挙にいとまがない。カーター・ファミリーの音楽の特長は、彼らがコレクションした膨大な数のアパラチアの伝承歌謡をモダンなスタイルで歌ったことだろう。1927年、RCA のラルフ・ピアがテネシー州ブリストルで行ったヒストリカル・レコーディングをきっかけに一躍有名になった彼らは、ラジオとレコードという新しいメディアを通じて文字通り一世風靡することになる。そして17年間に "Keep On the Sunny Side" など、名曲300余りを残すことになった。


Keep On the Sunny Side (May 9, 1928)

一家は1938年まで故郷ヴァージニア州クリンチマウンテンに留まったが、ボーダーラジオ局XERAと契約、3年間テキサス州に住んだあと、ノース・カロライナ州チャーロットに居を構えた。グループによる最後のラジオ出演は1942年、以降メイベルが3人の娘と「マザー・メイベル&カーター・シスターズ」を結成、演奏活動を継続して「カントリー音楽の女王」と呼ばれるようになった。娘のひとりジューンが1968年、ジョニー・キャッシュと結婚、2003年5月にジューンが亡くなるまで婚姻は続き、その4ヶ月後にジョニーも亡くなった。
There's a bright, there's a sunny side, too
Tho' we meet with the darkness and strife
The sunny side we also may view

Keep on the sunny side, always on the sunny side,
Keep on the sunny side of life
It will help us ev'ry day, it will brighten all the way
If we'll keep on the sunny side of life
映画『オー・ブラザー』(日本公開2001年)を観た人は、劇中にこの曲が歌われていたことに気付いただろうか。かつて高石ともやが『陽気に行こう』と訳して歌ったことでも知られている。陽気に行こう、というのはうまい意訳だと思うが、やや原曲とは外れているような気もしないではない。人生には暗く辛い面があるが、明るく陽が当たる面もあるじゃないか。そっちを向いて生きようという意味なのだが、邦訳を試みたもののやはり難しい。だから原詞のさわり部分をそのままを掲載することにした。今この曲を取り上げた理由だが、背景が今日の状況に酷似しているからだ。1929年から1933年にかけて世界的な恐慌が勃発した。そのような時代にこの曲が生まれたのである。ラジオ、レコードといった当時の新しいメディアによって流れ、人々は勇気を得たのである。安倍政権の経済政策失敗により景気が後退した今、人々は暗い側面に目を向けがちである。でも、ちょっと考えてみよう、人生には明るい陽が当たる面があることを忘れてはならないのだ。

2018年2月23日

今年の世界ピンホール写真デーは4月29日(日)です


毎年4月の最終日曜日は世界ピンホール写真デー(Worldwide Pinhole Photography Day)で、今年は4月29日(日)です。この日に制作されたピンホール写真をウェブサイトにアップロードすると、ギャラリーに掲載されます。ちょっと先になるのですが、私が管理しているFacebookグループ「ピンホール写真」にジョン・ニール氏からプロモーション用画像の投稿がありましたので、ここに紹介します。開催日が迫れば新たなフライヤ―ないしポスター用の画像がウェブサイトに掲載されると思いますので、またお知らせする予定です。

WPPD  Welcome to the Worldwide Pinhole Photography Day Website

2018年2月21日

不鮮明の歴史:ディテイルを拒否するまなざし

岡崎公園(京都市左京区岡崎最勝寺町)
Harman TiTAN 4x5 Pinhole Camera with Fujifilm 160NS

ピンボケの写真ができ上ると、人々は失敗作として落胆しないだろうか? 写真は鮮明に写っていないと駄目だと入門書に書いてはないだろうか? ところが現代では、判別できないような不鮮明な画像が受け入れられている。シュトゥットガルト写真関連著作賞を受賞した『不鮮明の歴史』の著者、ヴォルフガング・ウルリヒは「不鮮明の歴史を再構成していけば、ある造形手段のジャンル全体が、精神的・イデオロギー的な起源から解き放たれていく過程を示すことになる」と主張している。明解性において優れた写真術の発明は、絵画、特に肖像画に大きな打撃を与えたといえる。だがしかし、不思議なことに、すぐにソフトフォーカスが流行りだした。そしてさらに、ゴム印画法など、絵画を模倣した手法が現れ、19世紀末から20世紀初頭まで一世風靡する。いわゆるピクトリアリズム、絵画主義写真である。ところが明解性こそ写真の真髄であるという主張を基に、ストレート写真による揺り戻しがあった。米国において最も重要な代表者はアルフレッド・スティーグリッツであり、我が国では野島康三だった。いずれも絵画主義を標榜した写真家だったが、鮮明なストレート写真こそ写真であると高らかに宣言した。写真芸術にとって不鮮明さは必要ないと断じたわけである。鮮明さを求めるものに報道写真があるのでは、と考える人が多いかも知れない。ピンボケでは証拠にならないからだ。
満留伸一郎訳(クリックで拡大)

しかし例えばロバート・キャパの名作「ノルマンディ上陸作戦」の写真はどうだろう。ヘルメットをかぶり、海水に浸かりながら上陸作戦を展開する兵士たちは、見事にブレ、ボケている。そのブレボケが状況の緊迫感を増幅させ、逆にリアリティを持たせているのである。もしかしたら不鮮明は真理の構成要素のひとつになり得る可能性もあるといえるのではないだろうか。20世紀の終わりになると、信憑性がある写真に対する欲求が高まったとヴォルフガング・ウルリヒは主張する。そのひとつの要因として、デジタル画像処理に対する反動があったのではないかという。つまりこの写真はホンモノかどうかと疑うことが習慣になってしまったというのだ。カメラの外にある光と、フィルムと簡素な関係に複雑な要素が加わってしまった。カメラはブラックボックス化し、人が写真の成立にどれだけ関われるかが不透明になってしまったのである。だから写真の技術武装に対する反動として、ロモのようなトイカメラが圧倒的支持を得るようになったのではないだろうか。ロモ愛好家のスローガンは「不鮮明なほど鮮明だ」「《よい》写真や《下手》な写真は存在しない」であった。本書はピンホールやゾーンプレート写真には触れていないが、その位置づけに対し示唆に富んでいる。私は写真の成立に極めて直接的に関われるこれらの写真こそ、真実味を帯びた信憑性ある画像を生み出すと思っているからだ。その根底にあるのは、物事のディテイルを拒否する人間のまなざしではないだろうか。