テレビはコマーシャルを避けるという単純な理由で NHK を観ることが多い。私は民放の特に死亡保険、葬儀場、サプリメント、そして様々な通販などの執拗なコマーシャルには辟易とする。ことさら NHK を持ち上げる気は毛頭ないのだが、夕方7時のニュースはなるべく観るようにしている。同局 BS の「ワールドニュース」もしばしば視聴している。世界の放送局のニュースをダイレクトに伝える番組で。日本で流れるニュースが海外ではどのように報道されているのか、日本語通訳つきの2か国語放送で伝えてくれる。さまざまな言語に触れることもできる番組である。例えば10月18日にはイギリス・BBC、フランス・F2、スペイン・TVE、カタール・アルジャジーラ、中国・CCTV、シンガポール・CNA、インド・NDTV、オーストラリア・ABC、韓国・KBSなどの番組が放送された。この番組で学んだのだが、平均的なアメリカのニュース番組は、番組全体で取り上げられる記事の概要を示すことから始まる。主な焦点は、各メインストーリーの視覚的な概要を示すビデオ映像であり、視聴者はほんの数秒間画面をざっと見るだけで情報を収集できる。この方法は NHK の夕方7時のニュースも採用している。民放を避けるもう一つは「情報バラエティ番組」を忌避したいからだ。我が家のテレビは居間兼食堂にあるが、食事時、家人がスイッチを入れていることが多い。何気なく観ていると気に触ることがしばしばある。インターネット百科事典ウィキペディアは「情報番組」を以下のように説明している。
日本のテレビ局において、1990年代前半では「情報番組」は「生活情報番組」およびニュースとワイドショーを合わせた「朝の情報番組」を指していた。朝の情報番組はワイドショーを制作している部署が番組を制作しているため、報道局報道部が番組制作している「報道」とは別ジャンルとして扱われてきた。そのため、番組の中では「ニュース」という呼称が使えなかった。 しかしながら、1999年からワイドショーの報道化が進んだ一方で2000年以降、ニュース番組が従来ワイドショーで扱ってきたソフト・ニュースも扱うようになり、夕方のニュース番組を「情報番組」と呼ぶようになった。
つまりニュースを扱うようになったので、ニュース番組と誤解されがちである。問題は番組に登場するコメンテータの資質である。テレビプロデューサーの鎮目博道はプレジデント・オンラインに、コロナ問題を機に「コメンテーター不要」の思いが強くなったと書いている。曰く「そもそも、ひとりの人間が専門分野を超えてどんな話題にでも『個人的意見』をいう『コメンテーター』というシステムはニュース番組には要らないのではないか、と考えるようになったのです」云々。稀に例外があるかもしれないが、元スポーツ選手や音楽家に政治問題を語らせるのは無理だし、逆に政治ジャーナリストにスポーツや音楽の話題を振るのも所詮無理難題である。テレビ局にとって彼らは番組を飾るタレントに過ぎない。だから彼らの学歴や肩書、果ては女性の場合は容姿まで看板にしている可能性がある。下記リンク先はグローバリゼーションとローカライゼーションの研究者で、シアトルの任天堂テクノロジー開発のオフィスに勤務している、カイル・チョウが LinkedIn(リンクトイン)に寄稿した "What's Up With Japanese TV?"「日本のテレビはどうなっているのか?」(英文)である。
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