Robin Williamson |
弦を弓で擦って音を出す、いわゆる擦弦楽器の起源に関しては諸説があるが、ブリテン諸島に現れたのは紀元前数百年、クリュース(crwyth)というハープを原型にしたものといういわれている。しかしながらこの楽器が歴史の中でいつまで受け継がれたかは不明である。一般に擦弦楽器はアジアの騎馬民族によってヨーロッパにもたらされ、各地方の民族楽器として浸透し、その後地域ごとに多種多様な発展をし多くの楽器群が出現したというのが定説のようである。フィドル(fiddle)とヴァイオリン(violin)は今日では楽器としては全く同じものを指すが、フィドルのほうが歴史が古く、ヨーロッパではレベック(rebec)あるいはレバブ(rebab)などを経てヴィオール属、ヴァイオリン属の楽器に変遷したといわれている。16世紀にほぼ完成されたスタイルで突如出現したイタリアのヴィオリーノ(小さなヴィオラ)がヴァイオリンである。似たような楽器だったがネックが丸く単音を弾けるようになったことなどから、ヴァイオリンがフィドルにとって代わる。そしてフィドルという言葉自体は、クラシック音楽のヴァイオリンと区別する形で、民俗音楽系の総称になる。アイルランド音楽ではいろいろな楽器が使われているが、昔から使われてきた楽器は、フィドルとイリアンパイプ、それにハープの3種類である。ヨーロッパではケルト系のアイルランドやスコットランドの、そして東欧系のロマ族すなわちジプシーのふたつ奏法に大きく分けることができるだろう。アイルランドからの移植者がアメリカに持ち込んだフィドルはカントリーやブルーグラス音楽の花形楽器になる。ちょっと扇情的な響きがするからだろうか、ときに「悪魔の箱」と呼ばれたりする。それではそのフィドルはいつごろアイルランドに伝わったのだろうか。スコットランドのロビン・ウィリアムソン(1943年生まれ)の "English, Welsh, Scottish and Irish Fiddle Tunes"(イングランド、ウェールズ、スコットランドおよびアイルランドのフィドルチューン)にその背景が記述されている。フィディル(fidil)という言葉がアイルランドの詩 "Fair of Carnan" に現れたのは8世紀ごろだという。
次に十字軍の時代(1096-1291)に現れたのが冒頭に上げたレベックである。別の史料としてアイルランドの放送ジャーナリストのフィオヌアラ・ウィルソンがアルスター・スコッチ協会のサイトにちょっと注目すべき論文を寄せている。彼女は1989年、アルスターの大学で音楽を勉強する間にアントリムで録音を含めたフィドルに関するフィールドワークをしている。論文の中で彼女は、現在とは形や大きさが違うだろうが、この地域にフィドルあるいはフィドラ(fidula)が11世紀に入ったと書いている。フィドルあるいはフィドラがすぐに引っ張りだこになった理由としてダンスからの希求であったという説明は説得力がある。それまでのパイプより息切れせずに長い間演奏できたからだというのだ。英国の支配によって苦しめられたアイルランドの農民にとって、ダンスが最大の愉しみであったことは容易に理解できるし、フィドルが急速に普及した点も容易に理解できる。製作技術の向上により安価で手に入るようになったこと、そして比較的小型の楽器だったので、持ち運びに便利だったことも大きな理由になったと想像される。ジャガイモの収穫期には労働者が行き交い、スコットランドとの曲目の相互伝播も盛んになったようだ。フィドルが農民にとっていかにポピュラーな楽器だったということは、アメリカ近代絵画のジョージア・オキーフ(1887-1986)の伝記からも伺い知ることができる。父親がアイルランドの小作農で、アメリカに入植してからもフィドルを手放すことはなかったようである。
アイルランドのダンス音楽における変遷で重要なのは、曲作りがペンおよび紙の上ではなく楽器自体で行われたことである。楽器を使った作曲は楽器そのものが持つ特性が直接影響を及ぼします。従ってパイプで作られた曲とフィドルで作られた曲はそれそれが特徴を備えているといえそうだ。クラッシックのヴァイオリン演奏家は左指をハイポジションに移動する必要があり、従って楽器を顎で支えます。ところがアイルランドのフィドラーはほぼ第一ポジションにとどまる演奏をしたため、極端な場合、楽器を腕まで下げて演奏した。がっちり確保する必要のない自由さはアイルランド特有のフィドルチューンを醸造したといえなくもない。この演奏法はアメリカのフィドルチューンに引き継がれた。アイルランドの伝承音楽は半ば閉塞状態にあった農村社会でゆるやかに蓄積されてゆく。その豊饒ともいえる伝承に変化を与えたもの、それは20世紀初頭のレコードとラジオの出現である。新しい伝達手段は居ながらにして他の地域の音楽を入手できるようになった。それはある意味では、その豊饒なる伝承の共有としては素晴らしいものがあるのだが、一方、地域独自のスタイルが斜いてしまったという弊害も否定できない。スライゴーに生まれ育たなくても、マイケル・コールマン(1891–1945)のようなスライゴー・プレーヤーを模倣するフィドラーの出現を可能にしてしまったのである。時計の螺旋を逆に巻くことは不可能だ。しかし逆にメディアの発達により、私たちは世界中の素晴らしい民俗音楽の手に入れることができるようになった。そして時系列の中でメディアが貴重な記録作業をしていることも忘れてはならないだろう。なお7下記リンク先の動画共有サイト YouTube でマイケル・コールマンの演奏を鑑賞できます。
Michael Coleman: Bonnie Kate / Jenny's Chickens (Decca 12015) New York, Nov. 9, 1934
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