2013年11月21日

物欲を戒めた「森の生活」に学ぶ清貧生活

Walden Pond in early November by ©Nina Nicholson

カメラやオーディオ機器購入について書くことは、実は内心ちょっと躊躇するものがある。私は反原発派だし、電力を浪費するリニア新幹線の敷設などは反対である。人間はエネルギー問題に対し岐路に立っているし、経済成長を望むべきではないと考えている。だから物欲を彷彿とさせる内容の文章は慎むべきである。しかし写真表現は私にとっては人生そのものだから、その道具であるカメラは手放せない。しかし新しいカメラが出るとつい食指を伸ばしたくなる。音楽は自分の心を癒してくれるので、聴く装置は私には欠かせない。滅多に買い替えるものではないし、安価なものしか買えないから贅沢じゃないと思うが、どこか後ろめたいのである。座右の一冊、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)は『ウォールデン;森の生活』 (Walden; or, Life in the Woods)の中で「人生の多くの贅沢といわれる慰安の多くは、人類の向上に対する不可避的な障害のみならず、人間的な障害でもある」と書いている。まことに頭が痛い指摘である。さらにこんなくだりもある。
初版の表紙(1854年)
いま自分がもっている家よりもずっと便利で贅沢な、ただし、買える人間などいそうもないことがだれの目にも明らかな家を設計してみることはできる。われわれは、いつもそういうものをもっと手に入れようとつとめているが、ときにはいまもってるいるものよりも少ないもので満足できるようにつとめてみたらどうだろうか?
ソローはマサチューセッツ州コンコード近くのウォールデン池畔に自ら建てた小屋に、2年余り暮らした経験を元にこの本を書いた。「私が森に行って暮らそうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当は生きていなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです」というのがここに住んだ理由だったようだ。うーん、今に生きることなんだ。余談ながら凍結した湖面の氷の切り出し作業を目撃したが、これを仕切る豪農はフレデリック・テューダー(1783-1864)だった。日本でも人気が高い、絵本作家、園芸家であるターシャ・テューダー(1915-2008)の曽祖父だった。ターシャが俗界から逃れたのは、ソローの強い影響によるものと想像できる。

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