2026年4月6日

オスマン帝国の遺産:イスタンブルの壮麗なモスク

Sultan Ahmed Mosque
Sultan Ahmed Mosque (Blue Mosque) Istanbul, Turkey ©Tsutomu Otsuka

米国とイスラエルに対するイランの反撃によってイスラーム信仰が注目されるようになった。精緻で美しいペルシャのモスクを拝観したいのだが、戦時中なので今は不可能である。かつてイスラーム文化圏のいくつかの国々を訪ねたが、鮮やかに脳裏に浮かぶのがイスタンブルのモスクである。その巨大さ、壮麗さ、そして深い歴史的意義で世界的に有名である。世界中の人々がその複雑な建築様式や豪華な内装に感嘆するだけでなく、興味深い歴史的背景を知るためにイスタンブルを訪れるのである。古代都市を見下ろすように聳え立つミナレットは、街のスカイラインを圧倒する存在感を放っている。中には1500年もの歴史を持つものもあり、幾多の戦争や革命を乗り越え、興亡を繰り返した強大な帝国によって支えられてきた。そして、これらのミナレットは、500年以上にわたりイスタンブルの礎となってきたイスラーム文化を象徴している。1453年にオスマン帝国によりコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅亡すると、この街はオスマン帝国の首都となった。日本ではこれ以後をトルコ語によるイスタンブルの名で呼ぶことが多い。

Female students
Female students wearing hijabs and long coats in Sultan Ahmed Mosque

ただし公式にイスタンブルと改称されるのはトルコ革命後の1930年である。コンスタンティノープル陥落によってアヤソフィア(ハギアソフィア・聖ソフィア)大聖堂はミナレットなどが加えられ、モスクに改修された。頭上にはドーム型天井が聳ええ立ち、複雑でありながらも調和のとれた数々の装飾が施されている。渦巻くアラベスク模様の両脇には、金箔を施したタイルモザイク、繊細な石細工、手描きの壁画、そして30個以上ものアーチ型窓が織りなす美しい対称性が広がっている。コンスタンティノープルは間もなくこのイスラム帝国の首都となり、オスマン帝国は最終的に非常に強大な勢力へと成長した。彼らは最終的に、現在のバルカン半島、中東、北アフリカにあたる地域を支配下に置いた。オスマン帝国は蓄積した富を新たな首都イスタンブルに注ぎ込み、数十もの美しいモスクを建設した。ビザンツ帝国の宮殿跡地に建てられたスルタン・アフメト・モスク(通称ブルーモスク)は、オスマン帝国のコンスタンティノープル支配と覇権を象徴する建造物である。現在では、主要な観光名所となっている。このモスクに到着した時、入堂を待つ大勢の観光客の列に遭遇した。

向かいに聳えるアヤソフィアのビザンチン建築にインスピレーションを得たスルタン・アフメト・モスクは、なんと13個ものドームと6本のミナレットを擁している。一見すると過剰に思えるかもしれないが、実際には、その精緻なデザインはバランスが良く、優雅だと感じた。中に入ると、内壁を飾る青いイズニクタイルに目を奪われた。タイルは一枚一枚手描きで、粘土ではなく石英で作られており、複雑な花模様や幾何学模様が施されている。この独特なタイルこそが、ブルーモスクが史上最も壮麗なイスラム建築の一つとして広く認められている大きな理由である。それは、オスマン帝国の力強さ、創意工夫、そして芸術的才能を今に伝える証として、今もなお輝き続けている。1617年にスルタン・アフメト・モスク完成するまでに、オスマン帝国は160年以上にわたる激動の時代を乗り越え、この地域における強大な勢力としての地位を確立した。そして、1923年にトルコ共和国となるまで、その地位を保ち続けた。この6世紀にわたるオスマン帝国の発展と偉業の根底には、イスラームへの厚い信仰があったのである。下記リンク先はブルーモスク(スルタン・アフメト・モスク)の公式ウェブサイトです。

mosque  The Blue Mosque Tickets Official Website – Entry Info, Visiting Rules & Best Tour Options

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