2024年8月6日

古代オリンピックはバラ色ではなかった

Terracotta Panathenaic prize amphora

西暦165年のオリンピック大会は最悪の結末を迎えた。メインスタジアムからほど近い場所で、大勢の観衆に見守られながら、ペレグリナス・プロテウスという老人が燃え盛る火炎に飛び込んだ。この焼身自殺は、この競技会の創設者のひとりであるヘラクレスの神話的な死を模したものであり、人間界の腐敗した富への抗議の意思表示であると同時に、教祖の信奉者たちへの苦しみに耐える方法の教訓でもあった。ペレグリナスの物語は、目撃者である古代の風刺作家ルキアノスによって語られていまる。彼は、老人の最後の瞬間を描いただけでなく、古代オリンピックの交通問題についても言及している。ルキアノスは「悪評」を立てようとしている「酔狂な老いぼれ」だと彼は嘲笑した。しかしこの話は、ローマ支配下でのオリンピックの衰退を示すものではない。ペレグリヌスが芝居がかった自殺の機会を選んだのは、オリンピックが依然として大きな魅力を持っていたからであり、この事件がこれほど大きく書かれたのは、その文化的意義が大きかったからである。現代のオリンピックの起源について考えるとき、ローマ時代を避け、代わりに古典ギリシャの栄光の日々に集中する。

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紀元前2世紀中頃から紀元後4世紀末にキリスト教皇帝によって廃止されるまで、ローマの支配下で祝われていたという意味で、古代競技は「ギリシャ」と同じくらい長い間「ローマ」だったという事実を無視しがちだからだ。現代の多くの説では、ゲームの真の起源は、紀元前6世紀から4世紀にかけての古代ギリシャ時代にあるとされているが、もしかしたらもっと前かもしれない。伝説では、古代ゲームは紀元前776年に創設されたとされているが、その年代を正当化する史料は見つかっていない。私たちにとって、この「元祖」オリンピックの話は、勇敢なアマチュア競技者たちの姿を思い起こさせる。男性だけだが、猛烈な愛国心を持ち、非常に限られた範囲のスポーツで気高く競い合っていた。徒競走、戦車競技、レスリング、ボクシング、円盤投げ、槍投げなどだ。余談ながらパナテナイア祭の花瓶に描かれた選手たちは素っ裸である。紀元前720年にメガラ出身のランナーであるオルシッポスが、スタディオンレースでパンツを脱ぎ捨てて初めて裸で走ったという。また紀元前8世紀にスパルタ人がオリンピックに裸体を導入したという伝聞がある。紀元前776年にスタディオンレースで優勝したコロイボスは、オリンピアでの最初の勝利者として記録されているが、短パンをはいていたかどうかは定かではない。しかし8世紀後半に、選手の裸体が一般的になっていたことは確かなようだ。

パリ2024オリンピック
オリンピック2024年パリ大会

競技は個人で行われ、勝利という純粋な栄光のために、物質的な報酬はなかった。オリンピックの競技で1位になってもメダルはもらえず、オリーブの葉の花輪が贈られるだけで、運が良ければ競技場の近くや故郷に自分の銅像が建てられることもあった。また、最も幸運な人は、詩人のピンダルやその弟子が特別に作った「勝利のオデッセイ」の中で祝福された。さらに、すべての競技は神々を讃えるために行われた。オリンピアはスポーツの場であると同時に宗教的な聖地であり、競技はギリシャ世界を一つの宗教文化の旗の下に統合していた。ギリシャの都市国家は、普段は戦争ばかりしていたが、4年に一度、オリンピック休戦宣言が出され、大会期間中は紛争が中断され、ギリシャ世界のどこからでも参加できるようになった。それは、スポーツやフェアプレーが、私利私欲のための軍事的な紛争や対立に勝る瞬間だったのである。例えば、古代オリンピックにはメダルも女性も存在しなかった。しかし、全体として、当時のオリンピックが実際にどのようなものであったかを示す絵画が大きな誤解を招いている。それは、古代ギリシャ人自身よりも、近代オリンピック運動の創始者たちの関心事に負うところが大きい。1896年に近代オリンピックを成功させたピエール・ド・クーベルタン男爵のような人たちは、アルコールを嫌ったり、世界の平和と調和についてのかなり漠然とした考えを持っていたりと、自分たちの強迫観念をオリンピックに体系的に投影させたのである。

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1980年代までの近代オリンピックの責任者たちがこだわっていたのは、アマチュアリズムへの崇拝だった。クーベルタンとその後継者たちは、現代のオリンピック選手として温かく迎えられたアマチュア競技者と、絶対にそうではないプロの妨害者との間の境界線を、時に残酷なまでの線引きをした。近代オリンピックの歴史の中で最も悪意に満ちた事件の一つは、1912年のストックホルム大会で五種競技と十種競技の両方で優勝した優秀なアメリカ人選手、ジム・ソープの話である。スウェーデンのグスタフ国王から記念の胸像を贈られたとき「国王、ありがとう」と答えたと言われている。後にアメリカのマイナーリーグでプレーしていた際に、週に25ドルという些細な報酬を受け取っていたことが明らかになり、プロに再分類され、メダルを剥奪され、胸像の返却を求められた。しかし1983年になって、ようやく遺族にレプリカのメダルが送られてきたのである。ソープは、1953年に貧困の中で亡くなっていた。いずれにせよ、古代および近代オリンピックは負の側面を持っている。国家という重荷を背負ったアスリートたちがパリでメダル争奪闘争を続けている。家賃相場が値上がりし、市民生活を圧迫。市内のホームレスの人々を郊外へ移動させる行政の対応が「ソーシャル・クレンジング」(社会の浄化)ではないかと批判が起きた。アスリートファーストと謳いつつ、大腸菌で汚染されたセーヌ川でトライアスロン選手を泳がせた。華やかな祭典では隠しきれない「オリンピック災害」の存在を忘れてはならない。

PDF  The Ancient Olympic Games: Being Part of the Experience ©The Eurographics Association

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