2024年5月2日

アイザック・ウォルトン『釣魚大全』に流れる悠久の時間

The Complete Angler
丘から眺めたベレスフォード・ホール(アイザック・ウォルトン『釣魚大全』より)
講談社(1992年)

エドワード・グレイ卿(1862-1933)著『フライ・フィッシング』(講談社学術文庫)にこんな下りがある。「ギルバート・ホワイトの著書『セルボーンの博物誌』を除いては、この『ザ・コンプリート・アングラー』(釣魚大全)ほど疲れた心に避難場所そして慰安を与えてくれる本を私は知らない」云々。ギルバート・ホワイト(1720-1793)は牧師、博物学者だったが、セルボーン村を歩いて野鳥などの生態を観察し、二人の著名な博物学者、ペナントとバリントンに届けた。いわば書簡集なのだが、自然への憧憬と畏敬、そして愛に満ちている。後者はアイザック・ウォルトン(1593-1683)の著書だが、日本では『釣魚大全』という訳のタイトルのほうが馴染み深い。

平凡社(1997年)

両書はジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)の『昆虫記』や、ウィリアム・H・ハドソン(1841-1922)の『ラ・プラタの博物学者』など、自然観察文学の魁(さきがけ)をなした名著である。ところでリクリエイションというのは、気晴らし、娯楽と意味付けられている。しかしそこから生まれる、再創造という概念がある。ウォルトンは「瞑想する人のリクリエイション」という副題をつけているが、まさにこの点が超ロングセラーを続けている理由なのだろう。いずれも今なお自然探求の書として読み継がれている。ただ英国の古典文学にありがちな、ある種の冗長さがあることは否めない。『セルボーンの博物誌』は時間がかかったが、なんとか読み通したが『釣魚大全』は、放り投げてはまた手に取るということを何度か繰り返してきた。おそらく聖書に疎い浅学菲才が最初の躓きだったのかもしれない。しかしある日気づいたことがある。それは17世紀の英国と21世紀の日本では時間のテンポが違うということである。早く読破しようという気持ちを抑え、ゆったりした気分で接しようと考えた結果、冗長と思われた文章が、不思議なことにすんなり脳裡に刻まれるようになった。生きている限りは締め切りのない読書、悠久の時間に遊ぶ愉しさを味わっている今日この頃である。なお英語版(ペーパーバック 336ページ/税込み ¥1,980)を下記リンク先のオックスフォード大学出版局日本法人(東京都港区)のウェブサイトで入手できる。

University  Izaak Walton "The Compleat Angler" (ISBN : 9780198745464) Oxford University Press

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