2024年4月17日

カタルーニャ文学の至宝マルセー・ルドゥレダの生涯

Mercè Rodoreda (1908-1983)
Mercè Rodoreda (1908-1983)

マルセー・ルドゥレダは、1908年10月10日にスペインのカタルーニャ州バルセロナで生まれた。カタルーニャ語から他の言語に最も多く翻訳されている作家であり、小説 "La plaça del Diamant"(ダイヤモンド広場)はスペイン内戦をテーマにした最も有名な作品のひとつである。1921年、叔父のジョアン・グルギ・グアルディアが一家と同居するようになった。彼女は以前受け取った手紙の影響で彼を理想化し、20歳の誕生日である1928年10月10日にボナノヴァ教会で彼と結婚式をあげた。14歳年上であり、近親婚であったため、ローマ教皇の許しが必要であった。息子のジョルディが誕生後、ルドゥレダは作家として活動を始め、1932年に処女作 "Sóc una dona honrada?(私は正直な女ですか?)を出版した。1939年1月23日、ルドゥレダは他のカタルーニャの作家や知識人たちとともにバルセロナを去り、スペイン内戦が終結する直前に亡命する。そしてアンナ・ムリア、アルマンド・オビオルス、フランセスク・トラバル、カルレス・リーバらとともにフランスのロワシー・アン・ブリーに居を構えた。第二次世界大戦の勃発後、グループは離散し、彼女はアルマン・オビオルスとともにリモージュ、そしてボルドーに移る。 この間、ルドゥレダはカタルーニャ語で詩作を続け、花の宴コンペティションに詩の作品を出品する。交際関係にあったルドゥレダとオビオルスは、1954年にジュネーブに移り住む。亡命中に書かれたルドゥレダの短編小説集 "Vint-i-dos contes"(22の短編)がビクトル・カタラ賞を受賞。

ダイヤモンド広場
岩波文庫 (2019/8/21)

1962年 "La plaça del Diamant"(ダイヤモンド広場)がバルセロナの小説クラブ社から出版された。サン・ジョルディ賞に応募されたが、受賞には至らなかった。この小説は1965年にスペイン語に、1967年に英語に翻訳された。1966年、小説 "El carrer de les Camèlies"(カメリエの道)を出版し、サン・ジョルディ賞を受賞した。執筆活動を続け "Jardi vora el mar"(海辺の庭)と "La meva Cristina i altres contes"(私のクリスティーナとその他の物語)も出版された。ルドゥレダは1972年にカタルーニャに戻り、ロマーニャ・デ・ラ・セルヴァに住む。1974年に小説 "Mirall trencat(壊れた鏡)1980年に "Quanta, quanta guerra"(戦争、あまりに多くの戦争)を出版した。そして 同年、短編集 "Semblava de seda"(まるでシルクのようだった)"Viatges i flors"(旅と花)も出版。"La plaça del Diamant"(ダイヤモンド広場)が、1982年にバルセロナのフランセスク・ベトリウ監督により映画化された。1983年4月13日、74歳でルセー・ルドゥレダはジローナで他界した。彼女の小説 "La mort i la primavera"(春の死)が1986年に遺作として出版された。1991年には彼女の名を冠した財団が設立され、1998年には文学と短編小説のためのマルセー・ルドゥレダ賞が創設される。現在までに、彼女の作品は30以上の言語に翻訳され、カタルーニャ文学の第一人者とみなされている。下記リンク先はマルセー・ルドゥレダ財団の公式サイトで、ニュースハイライトや年代記などが掲載されている。

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