2024年1月13日

ラッパがついたフィドルのお話

Julia Clifford and her sister Bridgie Kelleher, Knocknagree, Co. Cork, Ireland, 1984.
ボストン美術館蔵  loupe

世の中には面白い楽器がいろいろある。写真左はアイルランドのケリー郡出身のジュリア・クリフォード(1914-1997)だが、フィドルに蓄音機のラッパに似た拡声装置がついている。シュトロー・フィドルだが Stroh Fiddle と綴る。オーストラリアのラム酒、シュトローと綴りは一緒だが、無論関係ない。フランクフルト生まれでイギリスに移住した電信技師、時計職人のジョン・マタイアス・オーガスタス・シュトロー(1828-1914)に由来する。シュトローは考案した楽器の特許を1899年に取得、息子のチャールズが1901年から1924年まで製造、ジョージ・エヴァンス社も1904年から1942年まで製造販売したという。この楽器は共鳴胴の代わりにアルミの円盤が音を伝え、そこから突き出た拡声ホーンが音を増幅する。フィドルばかりではなく、ヴィオラやチェロ、コントラバス、マンドリン、はてはウクレレやギターも作られた。音楽レコードの黎明期、蝋管式蓄音機で録音するには大きな音で指向性の強い楽器が必要だった。その要求に応えたのがシュトロー式絃楽器だったのである。その形状からまろやかな音色が奏でられるとは想像しがたいが、スライゴ出身の伝説の巨星、マイケル・コールマン(1891-1945)も、録音にはこれを使わらずを得なかったようだ。姉のブリッジ・ケレハーが普通のフィドルを弾いているにも関わらずジュリア・クリフォードは何故シュトロー・フィドルなのか。

街頭で開催されたフォーク・フェスティバルなどにも出演していたらしく、その場合は音が大きいのが望ましいので、使用した理由は理解できる。しかし写真は室内で撮られている。いろいろ調べてみたところ、2009年6月6日付けの「アイリッシュタイムズ」紙の記事に、そのヒントを得ることができた。ジュリア・クリフォードはダン・オコンネル(1921-2009)が1957年にコーク郡ノックナグリーで開店、アイルランド音楽のメッカとなったセットダンス・パブの常連演奏家だったようだ。セットダンスはアイルランドの伝統的なスクエアダンスであるカドリーユをルーツとしたフォークダンスで、爪先やかかとでたてる打撃音を伴うのが普通である。床から響く靴音にかき消されないように、音が大きいシュトロー・フィドルが使われた可能性が大きい。写真にはコーク郡ノックナグリーという説明がついているので、このパブで撮影されたと断定できる。これで疑問がひとつ解けたようだ。なおシュトロー・フィドルはアイルランドやイギリス以外、例えばニューオーリンズのマルディグラの街頭パレードでも現在使わているようである。下記リンク先の SoundCloud で、ダン・オコンネルのパブにおける、ジュリア・クリアフォードとボタンアコーディオン奏者ジョニー・オレアリーの貴重なライブ録音を聴くことができる。

SoundCloud
Chase Me Charlie: Johnny O'Leary and Julia Clifford, Recorded in Dan O'Connells pub, Knocknagree.

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