2023年5月12日

ダコタ族の戦士38人の処刑を承認したリンカーン大統領

Abraham Lincoln
Abraham Lincoln (1809–1865) 16th president of the United States

エイブラハム・リンカーン(1809–1865)は、アメリカの第16代大統領として、偉大な遺産を残した。リンカーンは「すべての人間は自由と自己決定の機会を得るに値する」というアメリカ民主主義の建国理念を深く信じ、奴隷となっていたアフリカ系アメリカ人の解放を実現させた。しかし自分たちの生命、土地、文化の存続のために集団で闘っていたアメリカ先住民に関しては、彼はその大切なアメリカの理想を適用するには至らなかった。祖父を先住民の襲撃で殺されたリンカーンは、フロンティアで育ったにもかかわらずアメリカ先住民との直接の接触は限られていた。大統領在任中、部族問題は、南北戦争と奴隷制廃止の推進に全力を注いだ彼の後塵を拝することになった。テキサス大学の歴史家トーマス・ブリテンは「人道的には善意を持っていたが、リンカーンはアメリカ先住民の問題についてはほとんど無知で反応的であり、前任者が定めた政策がデフォルトであった」と書いている。それは、条約の締結と破棄、先祖伝来の土地の没収、強制的な移住、文化的同化の推進、そして時には西部開拓時代の軍隊による大量虐殺行為に目をつぶることを意味した。リンカーンは白人の西方拡大を支援するために、何百万エーカーもの部族の土地を手放す法律に署名し、ダコタ族の戦士38人の絞首刑を承認した。リンカーンは1832年のブラックホーク戦争に志願兵として入隊したが、戦闘には加わらなかった。

Abraham Lincoln

ブラックホークは、1804年に締結されたサック族とフォックス族の広大な領土を毎年1,000ドルの現金と物資と引き換えにアメリカ政府に譲渡する、という条約に長年異議を唱えてきた戦士でありリーダーだった。政府が入植者に売却した先祖代々の故郷に戻ろうとする彼の行動は「イリノイ州への侵略」とみなされ、紛争に発展した。多くの白人入植者が耕作可能な土地と鉱物資源を求めて西部に進出していた時代、リンカーンは、部族民がその進出の障害となるという米国政府の一般的な立場を共有していた。1862年に「ホームステッド法」と「太平洋鉄道法」に署名し、それぞれ何百万エーカーもの部族の土地を入植者と鉄道会社に譲渡した。戦争に気を取られていたリンカーンは、アメリカ先住民問題の管理を腐敗した地方政府のエージェントや軍に委ねた。そして開拓時代の衝突が加速するにつれ、残虐な事件が発生した。1864年、米軍は推定1万人のナバホ族を故郷から300マイル以上離れた荒涼とした収容所まで強制的に行進させた。同じ年、コロラド州のサンドクリークで、志願兵のコロラド連隊が、ほとんど非武装のアラパホ族とシャイアン族の男性、女性、子供200人以上を残酷に虐殺した。そして、1863年1月1日に奴隷解放宣言が発効する1週間前の12月26日、リンカーンはダコタ族38人の絞首刑を許可し、米国史上最大の公開処刑となったのである。下記リンク先はアメリカのスノープスによる「リンカーンは38人のダコタ族の戦士の処刑を命じたのか?」題したファクトチェックである。

Fact Check  Fact Check | Did Abraham Lincoln Order the Execution of 38 Dakota Fighters? | Snopes

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