2014年5月6日

花が美しいのは葉を開かせるために散るからなのだ

御室桜  仁和寺(京都市右京区御室大内)

仁和寺の「御室桜」を初めて観たのは、遥か昔、1960年代末だったと思う。遅咲きの低木で「花が低い」ことから、女性の容姿を揶揄する代名詞であることもその頃知った。そして何よりも印象に残っているのは、チマチョゴリを着た女性たちが、鉦や太鼓をバックに踊っていたことである。満開の桜に浮かれ、酒宴を張るのは日本人だけではないんだ、と妙に感心したものである。もっとも今では境内での歌舞音曲、酒宴を楽しむことは無理なのだが、懐かしい光景として瞼に残っている。
風よ 少しそっと吹いてくれ
雨よ もうそろそろ止んではくれないのか?
私は重く まもなく落ちてしまいそうだ
私のことだ この花を咲かせるために
長い冬の暴風も雪寒も 我慢して耐えてきた
世の中も あまりに薄情で恨めしい
昨日は満開になった私を見て美しいと言い
今日は散りゆく私を見て感嘆の声をあげる
もはや感嘆も忘れて踏みしめる
いっそ花を咲かせずに 醜い葉にでもなってしまえば良かったのに
春の花よ 悲しむな
お前が美しいのは永遠でなくて
葉を開かせるために散るからなのだ
これは昨5月5日付の韓国紙「中央日報日本語版」に掲載されていた詩である。同紙編集部に寄せられた手紙に、毎年起きる事故に不感症になっている国を憂えた文章が綴られていたという。「あまりにも虚しく崩れつつある韓国の現実を見て、経済強国、韓流文化、強大国防を叫ぶ大韓民国が、どの一瞬に崩れ去るのだろうかと心配になります」。そして最後の1枚にこの詩が書かれていたという。記事に添えられた写真を見ると手紙はハングル、だから日本語版編集者が和訳したものだろう。日本人もその心情を共有できる、素晴らしい詩である。

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