2013年11月3日

なぜ男はスカートの中を覗きたくなるのか



河出書房新社(1989年)
この動画は YouTube に投稿されている、いわば「エスカレータのパンチラ悲喜劇」で、ヒット数は何と1300万を超えている。これに触発され「なぜ男はスカートの中を覗きたくなるのか」という永遠の謎に迫りたくなった。過去3度トルコのイスタンブルを訪れたことがある。いずれも冬で、スカーフを巻いた若い女性たちは地面すれすれまで届くロングコート着ていたのが印象的だった。肌を見せないというイスラームの教えに従ったものだろう。ところが新市街イスクラル通にある店のショウウィンドウが、女性の下着の満艦飾で奇異の念を禁じ得なかった。京都でも下着店は、ドラッグストアの薬のように堂々と並べている。カメラを向けても何のお咎めもない。ところがこの布切れが女性のスカートの中に隠れると様相は一変する。エスカレータに乗り、見え隠れする下着にカメラを向ければ「盗撮」と騒がれ、即警察に突き出されてしまう。捕まった男の「どんな下着を穿いていたかったか見たかった」という証言を読んだことがある。上野千鶴子著『スカートの下の劇場』(河出書房新社)は1989年に出版されたが、今でも精彩を放つ名著だ。上野さんは隠すことで価値が出ると看破している。曰く「考えると、隠さなければ何の値打もなかったのに隠したから値打が高まったというもののなかに、どうやら性器も含まれていたのではないかと思います」云々。下着を見たければ、下着店で堂々と見ることができる。にもかかわらず「下着を見たかった」というのは「下着に隠れた性器を想像したかった」のであろう。性器は下着に隠され見えないのだから、スカートの中を撮る行為は、肉体に迫っておらず「猥褻行為」とは言い難い。上野さんは続ける。「猥褻なのは、現実ではなくて、妄想のほうです。言いかえると、猥褻なのは心理であって肉体ではないのでのです」と。蛇足ながら、だからスカートの中を覗く行為は視覚の妄想であり、女性の体を直接触ろうとする「痴漢行為」とは一線を画すものだといえそうだ。

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