2026年10月19日

映画『パーフェクトワールド』とハロウィン

Halloween
箒に跨った満月の魔女
A Perfect World (1993) loupe

ハロウィンは古代ケルト人の祭が起源で、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的行事だったという。本来キリスト教とは関係ないが、11月1日に行われるキリスト教の万聖節「All Hallows」の前夜祭として紐付いたようである。日本でもカボチャのカービングや仮装行列が行われるようになったが、クリスマスと同様、宗教行事とは程遠い。ハロウィンというと私はずいぶん昔に観たクリント・イーストウッド監督作品の映画『パーフェクトワールド』(1993年)を思い出す。ケビン・コスナー演ずる脱獄囚ブッチ・ヘインズが、逃走途中に民家へ押し入り、8歳の少年フィリップ・ペリーを人質にアラスカに向けて逃亡する物語である。途中、フィリップは雑貨店でハロウィンの仮装用お面などに目を輝かす。エホバの証人の信者である彼の家庭では、母親が宗教に厳しく、キリスト教の友だちが開くパーティにも参加できず、ハロウィンの仮装も許されなかった。米国では近くの家々を訪れ「Trick or treat(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)」と唱えてお菓子をもらったりするそうだ。それがフィリップにとって羨ましくてしょうがなかったのである。クリント・イーストウッド演ずる刑事レッド・ガーネットはブッチを追い詰め、人質を解放するように求める。それに対しブッチは「母親がフィリップをハロウィンに行かせろ」という降伏条件を出す。この下りで思わず涙腺が緩んだことを憶えている。そし現場に到着したフィリップの母親がその要求を受け入れ、ブッチはフィリップを解放したのだった。

YouTube  A Perfect World - Theatrical Trailer 1993(映画『パーフェクトワールド』劇場公開用トレーラ)

2026年10月17日

世界史遠望(26)アフリカ系アメリカ人の権利と自由の法的保護を確立した公民権運動

Selma March
アラバマ州セルマの行進で「VOTE」と額に書いたアフリカ系アメリカ人の男性(1965年3月7日)

20世紀半ば、アフリカ系アメリカ人の平等な権利と人種隔離・排除の撤廃を求める全国的な運動がアメリカ各地で勃興した。この運動は様々な形態をとり、参加者たちは座り込み、ボイコット、抗議デモ、フリーダム・ライド、政府関係者への立法働きかけなど、幅広い手段を用いて要求を訴えた。彼らは多くの方面で反対に直面して爆破や暴行、逮捕、暗殺の犠牲となった。主な出来事としては以下のようなものがある。

ブラウン対教育委員会事件
全米黒人地位向上協会の法律擁護教育基金は、サーグッド・マーシャルの指導の下、数十年にわたり教育における人種隔離と闘ってきた。この長い闘いは、米国最高裁判所がブラウン対教育委員会事件を審理したことで頂点に達した。この事件は学校における人種隔離に関する5つの別々の訴訟をまとめたもので、マーシャルが最高裁での弁論を主導した。1954年5月17日、米国最高裁は「分離された教育施設は本質的に不平等である」と全員一致で判決を下し、公立学校における人種隔離を法的に終結させ、1889年のプレッシー対ファーガソン事件で確立された「分離すれども平等」の原則を覆した。
ローザ・パークスの逮捕
1955年12月1日、公民権運動家のローザ・パークスは、アラバマ州モンゴメリーのバスで白人乗客に席を譲ることを拒否したため逮捕された。この逮捕は、米国公民権運動における重要な出来事であるモンゴメリー・バス・ボイコットにつながり、パークスの長きにわたる活動家としてのキャリアにおける決定的な瞬間となった。モンゴメリー・バス・ボイコットでは、モンゴメリーの若き牧師、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士が頭角を現した。
リトルロックの学校統合危機
ブラウン対教育委員会裁判の最高裁判決後、多くの州の州および地方当局は学校統合に抵抗した。1957年9月、9人のアフリカ系アメリカ人の生徒がアーカンソー州リトルロックのセントラル高校に入学しようとした。州知事は州兵に高校を包囲するよう命じ、黒人の生徒たちは嫌がらせを受け、校舎に入ることを阻まれた。ドワイト・アイゼンハワー大統領はアーカンソー州兵を国有化し、生徒を保護し、連邦裁判所の分離撤廃命令を執行するために米軍を派遣した。
バーミングハム運動
1963年春、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師率いる南部キリスト教指導者会議は、アラバマ州バーミングハムで、市の残忍な人種隔離政策に抗議するため、大規模な座り込みとデモ行進運動を開始した。多くの抗議者と指導者が投獄され、キング牧師は獄中で、非暴力抵抗の哲学を説明する長文の公開書簡を執筆した。この書簡は「バーミングハム刑務所からの手紙」として知られるようになり、広く再出版され、市民的不服従の原則を擁護する古典的な著作として高く評価されている。
The Great March on Washington
約25万人がワシントン記念塔からリンカーン記念堂まで行進した(1963年8月28日)
数十万人がワシントンD.C.に集結
1963年8月28日、米国史上最大規模の非暴力公民権デモ「雇用と自由のためのワシントン大行進」を行った。この行進は数ヶ月で組織され、ベテラン戦略家のバイヤード・ラスティンが調整役を務め、実質的な変革の緊急性を訴えることを目的としていた。行進のプログラムには、「現議会による包括的かつ効果的な公民権法制」から始まり、教育、住宅、雇用などにおける差別撤廃などが含まれていた。指導者や組織者は議員やジョン・F・ケネディ大統領と面会し行進はリンカーン記念堂で音楽と演説で締めくくられた。演説の中には、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の「私には夢がある」も含まれていた。
アラバマ州セルマ公民権行進
1965年3月7日、25歳の活動家リーダー、ジョン・ルイスが率いる公民権行進が、行進隊が市内のエドマンド・ペタス橋を渡ろうとした際に、州警察官と保安官代理に襲撃された。行進隊が殴打され、催涙ガスを浴びせられ、警察の馬に踏みつけられる様子が報道されると、全国で怒りが広がり、活動家、宗教指導者、一般市民がセルマに押し寄せ、支援を行った。3月9日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士が率いる2番目の行進隊が橋に近づき、そこで祈りを捧げ、教会に戻った。3月21日、今度は連邦化された州兵に守られながら、数千人の行進隊が橋を渡り、モンゴメリーに向かった。
1964年の公民権法と1965年の投票権法
南北戦争後の再建期以降で最も重要な2つの公民権法が、わずか2年の間に相次いで可決された。この2つの法律は、人種、肌の色、宗教、性別、出身国に基づく差別を違法とした。公共施設、公教育、雇用における差別を禁止し、人種に基づく投票制限も禁じた。このような包括的な法律は、公民権運動の長年の目標であり、ジム・クロウ時代の多くの法律や慣習に終止符を打つものとなった。

1960年代末までに、公民権運動は法律と社会慣習に劇的な変化をもたらし、アフリカ系アメリカ人の権利と自由に対する法的保護を確立した。これは、その後数十年にわたりアメリカ社会を形作るものとなった。下記リンク先はジョン・F・ケネディ大統領図書館の「現代公民権運動とケネディ政権」です。

Kennedy MuseumThe Modern Civil Rights Movement and Kennedy Administration | John F. Kennedy Library

2026年10月15日

宗教考現学(15)上座部仏教の伝統を2300年もの間支えてきたスリランカ

Ruwanweliseya Stupa at Anuradhapura
ルワンウェリサヤ仏塔(中部州アヌラーダプラ)

仏教は紀元前5世紀、現在のネパール南部出身の釈迦族の王子、シッダールタ・ゴータマによって創始された。彼は長年の苦行の後、インドのブッダガヤにある菩提樹の下で悟り(涅槃)を開いた。彼の教えはパーリ聖典にまとめられ、四諦(苦しみの現実、その原因、苦しみの滅尽、そして滅尽への道)と八正道(倫理的かつ瞑想的な実践のための実践的な枠組み)について説かれている。彼の死後、仏教はインド全土、そして最終的には大陸全体に広まった。重要な年は紀元前247年である。カリンガ戦争の惨禍の後、仏教に改宗したインドのアショーカ王は、アジア各地に仏教の教えを広めるために使節団を派遣した。彼の息子マヒンダ(僧侶)はスリランカに渡り、アヌラーダプラの北にあるミヒンタレーの丘でデヴァナンピヤ・ティッサ王に説法を行った。王は即座に改宗した。この出来事は、スリランカ仏教発祥の地であるミヒンタレーで記念されており、2300年経った今でも巡礼地として親しまれている。

Buddha's Tooth Temple
ダラダー・マーリガーワ寺院(中部州キャンディ)

アショーカ王の娘サンガミッタは、釈迦が悟りを開いた菩提樹の挿し木を携えて後に続いた。その挿し木がアヌラーダプラのシュリー・マハー・ボーディとなり、今日でもなお生き続け、崇敬されている。これは地球上で最も古い記録に残る樹木である。仏教はスリランカの国教となり、植民地時代、内戦、そして2022年の経済危機を経てもなお、支配的な宗教であり続けている。シンハラ民族のアイデンティティと仏教の宗教的アイデンティティは深く結びついており、時に政治的に困難な結果をもたらすこともある。スリランカの仏教徒は「三宝」(ティラタナ)を中心に信仰生活を送っている。三宝とは、仏陀(歴史上のシッダールタ・ゴータマ)、ダルマ(仏陀の教え)、そしてサンガ(僧侶の共である。スリランカの僧侶は、サフラン色の袈裟をまとい、頭を剃り、律蔵(ヴィナヤ・ピタカ)と呼ばれる戒律を守っている。律蔵には、食事(正午前のみ、供物のみ)から睡眠(許可された部屋のみ)、女性との接触(一切禁止)まで、あらゆる事柄を規定する約227の規則が定められている。

Cave Temples
ダンブッラ石窟寺院(中部州マータレー)

僧侶たちはこれらの規則を守る代わりに、在家信者からの食料、袈裟、医薬品などの寄付によって生活を支えられている。僧侶と在家信者の関係は相互的なものである。僧侶は宗教教育や儀式を行い、人生の重要な出来事に立ち会います。在家信者は物質的な支援を提供します。この相互関係が、上座部仏教の伝統を2300年もの間支えてきた。スリランカの人口構成は、仏教徒が70%、ヒンドゥー教徒が12%、イスラム教徒が10%、キリスト教徒が7%となっている。この島には宗教間の共存の長い伝統があり、特に南部のカタラガマをはじめとする多くの聖地は、仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒によって同時に共有されている。シギリヤ、ポロンナルワ、アヌラーダプラには、いずれもヒンドゥー教の影響が見られる。仏教寺院群の中にヴィシュヌ神を祀る祠があったり、宗教が融合した図像が用いられていたり、共通の儀式暦が使われていたりといった例が見られる。他の宗教に見られるような、宗教の明確な分離は、スリランカの歴史には見られない。しかし、仏教徒のシンハラ人多数派とヒンドゥー教徒のタミル人少数派との間の緊張関係は、現代スリランカ政治において繰り返し見られるテーマであり、内戦(1983年~2009年)はその最も激しい表れであった。

Poya Day
満月ポヤの日(コロンボ郊外ケラニア)

こうした背景を理解することで、ジャフナ(タミル北部)、文化三角地帯、さらには仏歯寺(その政治史は民族的アイデンティティと切り離せない)といった地域への訪問がより豊かなものとなるだろう。スリランカの仏教は博物館の展示物ではなく、生きた実践であり、訪問者はそれにふさわしい振る舞いをすることが求められる。基本的なルールは島全体で共通している。肩と膝を覆い、寺院の壇上に上がる前に靴と帽子を脱ぎ、仏像に背を向けて写真を撮ることは決してしないことである。これは単なる規則違反ではなく、非常に失礼な行為とみなされる。仏塔や祠は時計回りに巡礼し、伝統的な敬意の方向である右肩を崇拝の対象に向ける。仏教を考古学的遺跡としてではなく、生きた伝統として体験できる最高の機会は、ポヤ(満月)の日である。この日、寺院は白い服を着た信者たちで埋め尽くされ、夕方のプージャ(礼拝)が行われる。

仏陀  テーラワーダ(上座部)仏教とは? 経典と瞑想および本来の仏教について | 仏教ウェブ入門講座

2026年10月14日

音楽雑話(7)スコットランド移民によってもたされたケープ・ブレトンのフィドル音楽

ケープ・ブレトン(カナダ東部大西洋岸ノバスコシア州にある島)のフィドル音楽は、ケルト音楽のイディオムに属する地域的なヴァイオリンのスタイルである。ケープ・ブレトンのフィドル音楽で主流となっているスタイルは、ハイランド・クリアランス、すなわち住民の強制立ち退きとそれに伴う歴史的動乱の際に、スコットランド移民によって北アメリカにもたらされた。これらのスコットランド移民は主にハイランドとルイス・ハリス島をはじめ、ノース・ウイスト島、ンベキュラ島、サウス・ウイスト島、バラ島など、大小あわせて100以上の島々のゲール語圏出身だった。スコットランドではこの時代以降フィドルは変化したが、スコットランドのフィドル音楽の伝統はケープブレトンでよりよく保存されていると広く考えられている。アイルランド風フィドルにも同様の伝統がある。

2026年8月に開催されたケープ・ブレトン・フィドル・フェスティバル

だがこの地域におけるスコットランド人の存在の結果として、そのスタイルは見過ごされている。1920年代から70年代にかけて、ケープブレトンのフィドル演奏スタイルは衰退した。この音楽に関連するダンス・スタイルとしては、ケープブレトン・ステップダンス、ケープ・ブレトン・スクエアダンス(アイオナスタイルとインヴァネススタイル)、そしてハイランドダンスなどが挙げられる。ケープ・ブレトンのフィドル演奏はアクセントが効いており、力強いアップボウが特長である。他の音楽起源(アイルランド、カナダ、フランス系カナダなど)の曲も、ケープ・ブレトンの演奏者が演奏すると違った響きになる。ダウンビートの拍子は、フィドル奏者の踵で床を叩くことで刻まれる。

The Heart of Cape Breton

パターンは、リールでは踵とつま先、ストラースペイでは踵が中心となる。1世紀前はヴァイオリンと足踏みオルガンが一般的な楽器だったが、現在ではピアノがリズム伴奏として主流となっているケープ・ブレトンのフィドル音楽は、スコットランド・ゲール語のイントネーション、特にプイルト・ア・ベウル(口笛音楽)やストラースペイの影響を受けている。装飾音は、グレート・ハイランド・バグパイプで用いられるものから取り入れられている。これらの装飾音(カット、別名トレブル、ドローン、ダブリング)が、ケープ・ブレトンのフィドルの独特の雰囲気を醸し出している。

Biggest Fiddle
2005年に建立された世界最大のフィドル

ケープ・ブレトンのフィドル音楽で一般的に演奏される曲は、ジグ、リール、クロッグ(ホーン・パイプ)、マーチ、ストラスペイ、スローエアなどである。このスタイルのフィドル音楽に関連する曲の多くは、バグパイプ、ピアノ、ギターなどの他の楽器でもよく演奏される。ハーモニカ、ティンホイッスル、マンドリン、バンジョーで演奏されることも珍しくない。現代のケープ・ブレトンの演奏家たちは、スコットランドやアイルランドの伝統音楽、そして現代音楽など、幅広い楽曲から影響を受けている。古くからある楽曲集も、よく利用されている。

YouTube  Cape Breton Fiddle : The Rankin Family - The Limehill Set (4:28) Posted by UISTMAN59

2026年10月13日

セイラム魔女裁判の謎

Folkways Records – FH 5211
Early New England Ballads Collected and Sung by John Allison

これはフォークウェイズレコードが1962年にリリースした、フォーク歌手ジョン・アリソンの "Witches and War-Whoops"(魔女と鬨の声)のジャケット写真で、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で、1692年3月1日に始まったセイラム魔女裁判をテーマにした LP アルバムである。いささかショッキングなイラストだが、村人が魔女として告発され、その絞首刑の様子が描かれている。この裁判についてウィキペディア日本語版は「植民地時代アメリカにおける集団パニックの最も深刻な事例の一つである。孤立主義、宗教過激主義、虚偽の告発、正当なプロセスの遂行が孕む危険性について、鮮明な警鐘を呼び掛ける題材として、政治的文脈や大衆文学に用いられている。多くの歴史家はセイラム魔女裁判はその後のアメリカの裁判制度に対して非常に強い影響力を及ぼしたと考えている。

Smiling-Witch

歴史家のジョージ・リンカーン・バーは「セイラムの魔女裁判は、神権政治を崩壊させたと評しており、無実とされる人々が次々と告発されて裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例としても引用されることが多い」と説明している。さらにインターネットを徘徊しているうちに、マサチューセッツ州ウォータータウンの歴史家のマリリン・ローチのことを知った。マサチューセッツ州ウェストボローのフィフティ・プラス・アドヴォケート紙の記事 "A Salem witch trial mystery remains"(セイラムの魔女裁判は謎が残る)によると「マサチューセッツ州の歴史作家マリリン・ローチは、セイラム魔女裁判について誰よりも知っているかもしれない。27年間にわたる綿密な調査、執筆、再執筆を経てこのテーマに関する彼女の最初の著書『セイラム魔女裁判』が2002年に出版された。そして2014年には『セイラムの6人の女たち』を上梓した」という。ローチによれば、魔女と疑われた164人が法廷制度に関与し、52人が裁判を受け、30人が有罪となった。30人中19人はセイラムの大観衆の前で絞首刑に処された。

Examination of a Witch
Tompkins H. Matteson (1813–1884) The Examination of a Witch, 1852

ローチは30人中19人の告発について「当時、荷車いっぱいの木材がバラバラになるのを誰かが目撃したり、目に見えない存在を感じたりしたかもしれない。告発者(魔法にかかった人、あるいは苦しんでいる人)は、魔女とされる他の人たちを告発した。「告発された人の中には家族のいない年配の女性もいたが、家族を持つ男性や女性もいた」「セイラムの想定される魔女と現代の魔女やウィッカンとの間には何の関係もありません」「彼らは誰も自分を魔女だとは思っていませんでした」云々。ローチは、1697年に裁判に対する謝罪として、マサチューセッツ州の一般大衆の間で一定期間の断食が行われたと指摘した。「その後、人々はパニックを悪魔の妄想だとみなしました。1711年、数回の請願の後、有罪判決を受けた者のうち22人の有罪評決が取り消されたが、有罪判決を受けた全員の名前が請願書に記載されていたわけではない。

Smiling-Witch

そして「1712年に裁判の結果被害を受けた人々に賠償金が支払われた」とローチは語っている。魔女裁判は、アメリカ史の中で奇妙で悲しい足跡を残している。「2001年にジェーン・スウィフト知事は残った名前を復元する法案を可決した。残念ながら、それはハロウィンの日に行われました」とローチ。彼女の研究は続いている。ローチは今、魔女裁判に参加した6人の男についての本を書いている。残念なことに、解明できていない情報がひとつある。絞首刑執行人は誰だったのだろうかという、極めて素朴な疑問である。「絞首刑の前に報酬が支払われたに違いない。請求書が見つからないんです。でも、彼がタバコを吸っていたことは知っています。1692年にサミュエル・ウォードウェルが絞首刑になったとき、彼は最後の言葉を言おうとしたときに、絞首刑の煙で喉を詰まらせた。首吊り師の名前が見つかればいいのですが」と嘆息しているようだ。下記リンク先の PDF ファイルはノースカロライナ大学の「セイラム魔女裁判の謎を解き明かす」です。

university  Solving the Mystery of the Salem Witch Trials Overview | University of North Carolina

2026年10月12日

森林再生活動をサポートする検索エンジン Ecosia を試用する

Ecosia

Ecosia(エコシア)はドイツの首都ベルリンの Ecosia GmbH(エコシア有限会社)が提供する検索エンジンで、80%以上の利益を植林・森林再生活動を行う非営利団体に寄付している。自身をソーシャル・ビジネスでありカーボンネガティブ(英語版)と考えており、Ecosia は財政の透明性を主張し定期的に財政レポートを公開している。ユーザーのプライバシーを保護し、アメリカの B Lab(英語版)に認証されたベネフィットコーポレーションである。創立当初は Yahoo! 検索の検索結果と、Bing、Wikipedia の技術を組み合わせて検索結果を表示していた。広告に関しては Ecosia と Yahoo! の利益共有の合意の一部として Yahoo! によって提供されていた。現在 Ecosia の検索結果は Bing によって提供されており、Bing から得た検索結果を Ecosia 自身のアルゴリズムによって強化している。Ecosia は現在スマートフォン(アンドロイド、iOS)、PC(Windows、Mac)上で動作するブラウザ・モバイルアプリとしても利用可能である。2019年現在 Google の検索結果も確認したい場合 Ecosia の検索バーに検索語句を入力することで Google の検索結果を表示することができる。2018年には、Ecosia はユーザーのプライバシーを守る検索エンジンになることを約束した。ユーザーの検索は暗号化され、保存は一時的にのみ行い、ユーザーのデータはサードパーティの広告会社に販売されることはないとしている。Ecosia はプライバシーポリシーにて検索履歴に基づくユーザープロフィールを作成しないし、Google Analytics のような外部のトラッキングツールを使用することもないとした。Ecosia は検索結果の隣に広告を表示しているが、ユーザーがスポンサードリンクを通じて広告元を参照したときにパートナーが Ecosia に料金を支払う仕組みとなっている。Ecosia の FAQ によれば Ecosiaで一度検索をすると、平均でおよそ0.5ユーロセント(0.005 EUR)の利益が発生する。1本の木を植えるには22ユーロセント掛かるので、22÷0.5という計算に基づき約45回の検索が1本の木を植えるために必要となる。Ecosia は広告からの利益の80%(収益の47.1%)を植林活動支援に使用しており、残りは想定外の事態の対応のために内部で留保される。もしこの留保した資金を使用する事態がなければ Ecosia の植林活動支援のための資金として使用される。Ecosia は月次で財政レポートを自身のサイト上に発表している。2018年10月には、創設者のクリスチャン・クロルは自身の保有する株式の一部を The Purpose Foundation に譲渡した。結果的に、クロールと Ecosia の共同所有者ティム・シューマッハは Ecosia を売る権利を放棄した。Ecosia はコペンハーゲンで行われた第15回気候変動枠組条約締約国会議と同じ日付である2009年12月7日に設立された。それ以降、プログラム運営者は材木業者・現地コミュニティと財政計画を作成したが、2011年までに Ecosia は250,000ユーロ以上を集めることに成功した。

スタートアップ画面

2013年7月から2014年9月にかけて Ecosia はアメリカの The Nature Conservancy(英語版)の主催する Plant a Billion Trees プログラムに寄付を行った。このプログラムは100万本の現地の木を植林することでブラジルの大西洋岸森林を2015年までに復元しようというものである。2015年には Ecosia はアフリカ連合・世界銀行の支援する砂漠化防止を目的としたグレートグリーンウォールプロジェクトの一環として、ブルキナファソの森林再生活動を資金援助した。B-lab によれば、2015年1月時点で、「利益の80%を寄付することで、Ecosia は2009年12月以降、熱帯雨林保護のために150万ドル以上を集めた。Ecosia によれば、2015年までに Ecosia はおよそ250万人のアクティブユーザーを獲得し、200万本以上の植林を行った。2015年5月に Ecosia は Europas(欧州のテック関連スタートアップ企業を称える賞)の社会の向上を意図した最優秀スタートアップ企業のカテゴリーの候補に挙げられた Ecosia は複数の団体と一緒に活動している。例えばエデン森林再生プロジェクト(英語版)、Hommes et Terre(フランス語:人類と地球)、その国現地の様々なパートナー等である。これらパートナーと Ecosia は16の国で植林を行った。Ecosia は現在ペルー、ニカラグア、コロンビア、ブラジル、モロッコ、スペイン、セネガル、ブルキナファソ、ガーナ、マダガスカル、ウガンダ、タンザニア、エチオピア、ハイチ、ケニア、インドネシアで植林プロジェクトを支援している。2018年10月9日、Ecosia は100万ユーロでハンバッハの森(英語版)をドイツのエネルギー会社 RWE から購入した。Ecosiaは Google Chrome と Mozilla Firefox 上でデフォルト検索エンジンとして使用可能である。2017年7月21日時点では、Brave ブラウザが Ecosiaをデフォルト検索エンジンの選択肢として提供している。バージョン26(2016年1月26日)のリリースに伴い Pale Moon ブラウザは Ecosia をデフォルト検索エンジンとして提供し、2016年2月15日に Polarity ブラウザのバージョン8も同様に Ecosia をデフォルト検索エンジンとした。Ecosia はバージョン44.0.2から Firerfox のデフォルト検索エンジンである。バージョン1.9から Vivaldi は Ecosia をデフォルト検索エンジンの選択肢として追加した。2018年3月には Firefox 59.0 が Ecosia を検索エンジンの選択肢としてドイツ版に追加した。

  エコシアは検索によって生じた広告収益の多くを環境保護(主に植林活動)に寄付する検索エンジン

2026年10月11日

音楽雑話(6)ルイジアナ州のアカディア人によって生み出されたケイジャン音楽

cajun
ボタンアコーディオンとフィドルが主体のケイジャン音楽

ケイジャン音楽は、18世紀初頭にルイジアナ州南部に移住してきた様々な移民グループの音楽スタイルから発展した。これらの移民たちは新天地に定住するにあたり、それぞれ独自の文化的伝統を持ち込んだのである。最初に移住してきたのはアカディア人だった。彼らはアカディアナ(Acadiana)呼ばれる地域(現在のカナダのノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワード島などの大西洋沿岸)に定住した。彼らは1755年にイギリス政府によって故郷を追われ、最終的に南ルイジアナにたどり着き、独自の文化を築いた。ケイジャン音楽は、ボタンアコーディオン、フィドル、そしてフランス語という3つの要素で容易に識別できる。現代のソングライターでさえ、両親や祖父母からフランス語を学び、地元のフランス語の集まりに参加したり、フランス語集中教育プログラムを通してフランス語を習得し、フランス語で曲を書いている。ケイジャン音楽の曲のほとんどはツー・ステップかワルツで、特定のダンスステップに合わせて作られている。

アカディアナのふたつのサウンド
ケイジャンとザディコ音楽の違い

この音楽がケイジャンの人々の「もの」であることは間違いないが、アイルランド、ドイツ、アフリカ、ネイティブアメリカンの伝統の影響も取り入れている。ケイジャン音楽の多くは、フェ・ド・ド(ダンスパーティー)で聴くことができ、伝統的なケイジャン音楽にロック、ブルース、ソウル、ザディコの影響が融合している。ケイジャン音楽はルイジアナ州南部をはじめとする地域で根強い人気を誇っている。あらゆる年代の人々に愛され、カントリーやロックといった他のジャンルの音楽にも影響を与えてきた。長年にわたり様々な変化を遂げてきたにもかかわらず、ケイジャン音楽はルイジアナ州の文化遺産として今もなお愛され続けている。ケイジャン音楽の最初の録音は1920年代に遡り、ジョー・ファルコンとクレオマ・ブロウ、デニス・マギー、サディ・クールヴィル、クレオール・アコーディオン奏者のアメデ・アルドインといった演奏家が登場する。

Cléoma Breaux and Joe Falcon

アイリー・ルジューン、ローレンス・ウォーカー、アルダス・ロジャーとラファイエット・プレイボーイズ、バルファ兄弟、ハリー・チョーツ(別名「ケイジャン・スウィングのフィドル王」)、DL・メナード(別名「ケイジャンのハンク・ウィリアムズ」)といった演奏家たちは、20世紀を通じてこのサウンドを発展させ、広げるのに貢献した。1964年ののニューポート・フォーク・フェスティバルで、グラディウス・ティボドー、ルイ・“ヴィネス”・ルジューヌ、デューイ・バルファが観客を熱狂させるパフォーマンスを披露したことで、この伝統音楽はついに全国的な注目を集めることになった。そしてその後数十年の間に、ザカリー・リチャード、マイケル・ドゥーセとボーソレイユ、ウェイン・トゥープス、レッド・スティック・ランブラーズ、ロスト・バイユー・ランブラーズ、バルファ・トゥジュール、パイン・リーフ・ボーイズ、セドリック・ワトソンといったアーティストたちが台頭したのである。下記リンク先の動画はケイジャン音楽の演奏とダンス『マムーのためのギャロップ』です。

YouTube CAJUN MUSIC WITH PAYS D'EN HAUT (TIT GALOP POUR MAMOU) Posted by Brian Mitolo

2026年10月7日

ぶら京都(5)Stroll on Kyōto City #5

Seishō Nagon
Seishō Nagon at Jidai Matsuri, Kyōto Gyoen National Garden
時代祭清少納言の十二単(京都市上京区京都御苑)
Shyness
Shyness, Setogawa-chō, Saga Tenryūji, Ukyō-ku, Kyōto
恥じらい(京都市右京区嵯峨天龍寺瀬戸川町)
Zōri
Zōri, Nishikikōji-dōri, Yanaginobanba, Nakagyō-ku, Kyōto
草履(京都市中京区柳馬場錦小路通)
Japanese Kerria
Japanese Kerria, Matsuo-taisha Shrine, NishiKyō-ku, Kyōto
山吹(京都市西京区嵐山宮町の松尾大社)
Column,
Column, Shinpūkan, Bano-chō, Nakagyō-ku, Kyōto
円柱(京都市中京区場之町の新風館)
Saigū
Saigū Procession, Saga Arashiyama-chō, Ukyō-ku, Kyōto
斎宮行列(京都市右京区嵯峨中之島町)
Ivies
Ivies on the Wall, Nakano-chō, Nakagyō-ku, Kyōto
壁の蔦(京都市中京区中之町)
Santa Claus Lingeries
Santa Claus Lingeries, Sinkyōgoku-dōri Shijō-agaru, Nakagyō-ku, Kyōto
サンタクロースのランジェリー(京都市中京区新京極通四条上ル)
Kakizome
Kakizome, Kitano-tenmangū Shrine, Bakuro-chō, Kamigyō-ku, Kyōto
書初め(京都市上京区馬喰町の北野天満宮)

文字通り「ぶら京都」とはぶらぶら京都を散策して写真を撮るという意味ですが、徒然に目に止まった情景を撮影主体にしています。過去のストック写真を含め、旅行者ではなく、この地に住んでるがゆえの視線で捉えた、京都らしい写真をお届けします。

2026年10月5日

ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマレ

ogslop String Band
Hogslop String Band, Harpeth River, Tennessee. ©2010 Lisa Elmaleh
Lisa Elmaleh

リサ・エルマレ(1984年生まれ)はアパラチアとその周辺に暮らす現代のフォークミュージシャンを記録するにあたり、19世紀の湿式コロジオン・ティンタイプ技法を用いた。その土地に深く根ざした伝統の本質を捉えながら、エルマレは心に残る美しさを持つポートレートや風景写真を生み出している。被写体と撮影技法の組み合わせは意図的なものだと、エルマレは説明する。アメリカのフォークミュージックの伝統は、ティンタイプ写真技法の歴史的性質と共鳴している。エルマレは、ウェストヴァージニア州ハンプシャー郡を拠点とするビジュアルアーティスト、指導者、ドキュメンタリー作家である。ティンタイプ、ガラスネガ、セルロイドフィルムを用いた大判写真に特化している。2007年以来、アメリカ各地を旅し、アメリカの風景、生活と文化を記録している。1984年、フロリダ州マイアミで生まれたエルマレは、限られた収入の中で母親と小さなアパートで育った。父親は風景写真を扱う写真家で、エルマレは父親が暗室で写真を現像するのを見て「写真の魔法が私の心に焼き付いた」と回想している。ニューヨークのマンハッタンにある芸術大学スクール・オブ・ビジュアル・アーツに通い、2007年に美術学士号を取得して卒業した。卒業後、権威あるティアニー・フェローシップを受け、気候変動がエバーグレーズ国立公園などの湿地帯に与える影響を、詳細に視覚的に記録するプロジェクトに取り組んだ。

Hannah Johnson
Hannah Johnson, Keezletown, Virginia, 2012

このプロジェクトの集大成として、2016年にザターラ出版から『エバーグレーズ(フロリダ州南部に広がる亜熱帯性の大湿地帯)』というタイトルの本が出版された。大学でコロジオン法を学んだエルマレはティンタイプ写真を制作し始めた。彼女の愛用カメラは大判8x10の木製案箱センチュリー・ユニバーサルで、シュナイダー・クロイツナッハ300mmレンズを使用している。

Alice Gerrard
Alice Gerrard, Durham, North Carolina, 2013

湿式コロジオン法では現像液が乾板上でまだ湿っている間に画像を撮影し、現像する必要がある。2010年、アメリカ文化の歴史的記録として、ヨーロッパの移民が伝承したパラチアの音楽を継承するフォークミュージシャンに焦点を当て、ティンタイプのポートレートで記録する長期継続プロジェクトに取り組み始めた。

Moses Nelligan and Matt Kinman
Moses Nelligan and Matt Kinman, West Virginia, 2013

トヨタ・タコマのピックアップトラックを移動式暗室に改造し、被写体に会いに行くために運転している。コロジオン法には時間的な制約があるため、エルマーレは撮影後30分以内に写真を現像する。画像は1枚ずつ撮影され、現像される。エルマーレの作品は全米で展示され、アーノルド・ニューマン賞、アーロン・シスキンド財団、パッフィン財団などから評価されている。

Janice Birchfield
Janice Birchfield, Roan Mountain, Tennessee, 2013

彼女の作品は、ハーパース・マガジン、スミソニアン・マガジン、CNN テレビ、ニューヨーク・タイムズ、ナショナル・ジオグラフィック、オックスフォード・アメリカン、ガーデン&ガン、ナショナル・パブリック・ラジオなどに掲載されている。下記リンク先はナショナルジオグラフィック誌ベッキー・ハーラン編「思索:リサ・エルマレのアパラチアからの叙情的なティンタイプ」です。

NationalGographic  Lisa Elmaleh's Lyrical Tintypes From Appalachia by Becky Harlan of National Ggeographic

2026年10月3日

デスクトップパソコン導入 + フォトショップについて

SH-I7U01<

ほぼ半年前、デスクトップパソコンが昇天、以降、ノートパソコンで凌いできた。もしこれがクラッシュしたら厄介、すべてのデータを失ってしまうことになる。というわけでデスクトップパソコン mouse SH-I5U01 を新たに購入した。大きさは 約99×326×290 mm(幅×奥行き×高さ)である。発注してから分かったのだが、横置きできないという。ネット検索したところ、マザーボードを下にすれば OK とあった。しかしメーカーに問い合わせたところ、これは正式見解ではないという。まぁ、仕方ない。価格は電話でやりとりしているうちに、様々な特典が加味され思いのほか廉価となった。早速クレジットカード決済の手続をしたのだが、何とエラー。調べ直したところカードの利用限度額が低かったかったのである。ネット通販で高額の買い物をしたことがなかったせいなのだが、限度額を増額を上げて一件落着した。

36 Years of Photoshop

前書きが長くなってしまった。商品が届き、早速セットアップしてみた。まず最初にインターネット Wi-Fi 接続の設定したのだが、その後は本人確認とかごちゃごちゃした作業が続いた。最終的は、ブラウザのブックマークや、ブログサービス Blogger の設定が引き継がれた。一番肝心なのは画像処理ソフト Adobe Photoshop なのだが、古い CS4 のパッケージ版をインストールすることができた。これまでの主流だった Creative Suite(CS)シリーズなどのパッケージ(DVD-ROM)版の生産は終了した。それに伴い、店頭やネットショップでの取り扱いは、シリアルコードが記載された「ダウンロードカード」や「オンラインコード」のみへと全面的に移行している。この変更により、ユーザーは常に最新の機能やアップデートを利用できるようになったほか、光学ドライブのない薄型ノートパソコンなどでも手軽に導入できるようになった。しかし光学ドライブは外付けのものを使えばいいし、写真業を廃業した私には、いずれも縁がないようだ。下記リンク先はコンピュータアカデミー(西ベンガル州ハブラ)の『アドビ・フォットショップの完全な歴史』を学ぶです。

adobe  A Complete history of Adobe Photoshop | Learn Computer Academy, Habra, West Bengal

2026年10月2日

音楽雑話(5)アルタイ山脈に起源を持つモンゴルの伝統的歌唱法ホーメイ

 khoomei
モンゴルの喉歌(ホーメイ)演奏家

ホーメイ(Khöömei)は、モンゴル西部のアルタイ山脈に起源を持つ歌唱法である。歌い手は自然の音を模倣し、同時に2つの異なる声を出す。持続的なドローン音とともに、倍音のメロディーを奏でる。ホーメイは文字通り「咽頭」を意味し、シャーマニズムの儀式において精霊が中心となる鳥から学んだと考えられている。モンゴルには数多くのホーメイの技法があるが、これらは大きく2つのスタイルに分類される。ハルヒラー(低音ホーメイ)とイスゲレーホーメイ(口笛ホーメイ)である。ハルヒラーでは、歌い手は通常の声でドローン音を歌いながら、1オクターブ下の低音またはサブハーモニックを強調する。イスゲレーホーメイでは、ドローン音の基本音より上の倍音を強調し、より高い音の口笛を作り出す。どちらの場合も、ドローン音は非常に張った声帯で発せられ、メロディーは口の大きさや形を変えたり、唇を開閉したり、舌を動かしたりすることで作られる。ホーメイは、モンゴルの遊牧民によって、盛大な国家儀式から家庭での祝祭まで、さまざまな社会的場面で演奏される。ホーメイは、牧畜中や、ゲルの中で赤ちゃんを寝かしつけるためにも歌われる。伝統的に、ホーメイは伝承者から学習者へ、あるいは師匠から弟子へと口頭で伝えられる。

馬頭琴
馬頭琴の各部名称

モンゴルの歌唱芸術であるホーメイは、一人の歌い手が複数の声部による多様なハーモニーを奏でる歌唱スタイルで、喉で生み出される持続的な低音も特徴である。歌い手はソロで歌うこともあれば、グループで歌うこともある。ホーメイは現在、中国北部の内モンゴル、西モンゴル、ロシアのトゥヴァ共和国など、複数の国のモンゴル人コミュニティで実践されている。伝統的に儀式の際に歌われるホーメイは、自然界、モンゴル民族の祖先、そして偉大な英雄たちへの敬意と称賛を表現している。この形式は、競馬、弓術、レスリングの大会、大規模な宴会、生贄の儀式など、特別な行事や集団活動のために用いられる。歌のタイミングや順序はしばしば厳密に規定されている。ホーメイは長年にわたりモンゴル文化を象徴する中心的な要素とみなされ、国民的あるいは民族的アイデンティティの強い象徴であり続けている。モンゴル民族の哲学や美的価値観を垣間見ることができるものとして、中国、モンゴル、ロシア間の相互理解と友好を促進する一種の文化使節としての役割を果たし、独自の音楽表現形式として世界中で注目を集めている。下記リンク先はバツォリグ・ヴァンシグによるスイスのロマンモティエ=アンヴィーの教会でのコンサートです。

YouTube  Batzorig Vaanchig - Live at "Abbatiale de Romainmôtier" Switzerland - The Full Concert