2026年7月11日

フェイスブックとインスタグラムの「中毒性のあるデザイン」は欧州法に違反する

Facebook & nstagram
Facebook and Instagram

欧州連合(EU)の欧州委員会は、ソーシャルメディアプラットフォームの「中毒性のある設計」に対処するため、メタ社はフェイスブックとインスタグラムに大幅な変更を加える必要があると判断した。欧州委員会は声明でアプリケーションの自動再生、無限スクロールフィード、パーソナライズされたおすすめ機能、プッシュ通知などの機能は、ユーザーの「身体的および精神的な健康」を損なう可能性があると述べた。同委員会は、メタがこれらのリスクに適切に対処したり、ユーザーに警告したりしておらず、欧州委員会のデジタルサービス法(DSA, Digital Services Act)に違反している可能性があると指摘した。この声明は、メタ社が前年に施行された欧州委員会のオンラインプラットフォームに関する包括的な規制であるデジタルサービス法(DSA)に違反しているかどうかを調査するために2024年に開始された 調査の結果である。メタ社はこれらの調査結果に異議を唱えているが、今年、米国の2つの陪審がメタ社が意図的に若いユーザーを中毒状態に陥れ、害を与えたと判断した判決を下したことに続くものだ。これらの訴訟は、メタ社の同様の機能に焦点を当てたものだった。昨年、オーストラリアが16歳未満の子供のソーシャルメディア利用を世界で初めて禁止したことを受け、欧州連合諸国を含む多くの国が、10代の若者のソーシャルメディアへのアクセスを遮断する動きを見せている。

EU

メタ社の広報担当者であるベン・ウォルターズは声明の中で、メタ社はこの調査結果に同意しないとし「この調査結果は私たちが10代の若者を守るために講じてきた重要な措置を正確に考慮に入れていない」と述べた。「この調査開始以来、私たちは10代の若者を自動的に保護し、保護者が管理できるティーンアカウントを導入した。これにより保護者は夜間のインスタグラムへのアクセスをブロックしたり、1日のスクリーンタイムを15分に制限したりすることが可能になります」と声明には記されています。「私たちは、10代の若者に安全で健全なオンライン体験を提供するという欧州委員会の取り組みに賛同しており、今後も欧州委員会と建設的な対話を続けていきます」云々。欧州委員会の調査結果は暫定的なものであり、メタ社には異議を申し立てる機会が与えられる。しかし、メタ社がデジタルサービス法(DSA)に違反していると判断された場合、昨年の収益に基づくと、全世界の収益の最大6%に相当する罰金が科される可能性がある。その額は120億ドルを超える。下記リンク先は「欧州委員会がフェイスブックとインスタグラムに対し《中毒性のある》デザイン機能の撤廃を要求」です。

Social Media  EU Commission demands Facebook and Instagram dismantle 'addictive' design features

皇室典範改定:なぜ高市首相は愛子天皇」を潰したいのか

愛子内親王
園遊会に出席した愛子内親王と天皇皇后両陛下(2024年10月30日)赤坂御苑

皇族数の確保に向けた皇室典範改定案が7月10日、衆議院本会議で採決が行われ、自民・維新両党と中道改革連合、国民民主党、参政党などの賛成多数で可決され、参議院に送られた。改定案は参議院でも賛成が過半数に達する見通しで、今の国会で成立する公算が大きくなった。改正案は皇族数の確保に向けたもので、女性皇族が結婚後も皇室に残ることと、旧皇族の男系男子を養子に迎えられるようにすることの2つが柱となっている。しかし波乱含みであることは否めない。皇位継承を男系男子に限る1条と、女性皇族が結婚により皇室を離れるとする12条の規定を指す。1条については「これだけでは将来、皇室が絶える危険性が高い」としたうえで、12条については「皇族数が減り、皇室活動に支障をきたす」と指摘があるからだ。旧皇室典範は、大日本帝国憲法と並ぶ最高法規として1889年(明治22年)に制定された皇室の家憲である。皇位継承は「男系男子」に限られ、女性皇族の臣籍降嫁や議会の関与などを定めていた。GHQ の指令下、現行の皇室典範が公布された1947年(昭和22年)5月2日に廃止されている。第1条は「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と謳っているが、新皇室典範も全く同じである。高市首相が「日本初の女性総理大臣」になったこととあいまって、もしかしたら「愛子天皇」実現への道を開いてくれるのではないかという期待となった。彼女が以前『文藝春秋』2022年1月号で、自分は女性天皇に反対しているわけではないと述べたこともあちこちで引用され強調されたからである。 しかし例によって嘘嘘八百。自民党の中でも保守的な考えの持ち主で、 天皇は男系男子に限るという現在の皇室典範が定めている立場を堅持している。

旧皇室典範
伊藤博文 (著) 帝國憲法 皇室典範 義解: 国会図書館復刻版

そうした中で「愛子天皇」待望論の人たちにとってショックだったのは、高市首相が2月27日の衆院予算委員会で「男系男子に限ることが適切とされている」などと答弁したと報じられたことだ。さらに大きいのが、麻生太郎副総裁の存在だ。週刊誌の報道によれば現職閣僚が「皇室典範の議論については、事実上『麻生一任』というのが暗黙の了解です。その麻生さんが、養子案を強力に推し進めている。この流れに逆らえる議員などいません」と内情を打ち明けたそうである。このへんがとてもややこしいのだが、そもそも2月27日の皇室典範改定をめぐる高市首相の発言自身が、党内右派の意見に引っ張られたもので、内容に齟齬がある。あるいは間違いだという指摘もあるという。高市首相は「皇位が女系で継承されたことは一度もないんですね。ですから有識者会議の報告でもそうなっておりますけれども、皇統に属する男系男子に該当するものに限ることが適切とされています。政府としても私としても、この報告を尊重いたしております」衆院選後の特別国会で初めてとなる2月27日の衆院予算委員会でこう述べている。その一方で高市首相は「過去には男系の女性天皇がいらしたことは歴史的な事実です。過去の女性天皇を否定してしまうということは不敬にあたる」と主張。いささか行き当たりばったりの発言だが、歴史は認めるそうである。確かに日本の歴史において、即位した女性天皇は8人・10代存在する。2人が重祚(ちょうそ/じゅうそ:一度退位した君主《日本では天皇》が再即位すること)としたため、人数は8人だが、即位の回数としては10代となる。

  1. 33代 推古(すいこ)天皇(592–628年)日本初の女帝とされる
  2. 35代 皇極(こうぎょく)天皇(642–645年)後の斉明天皇(重祚)
  3. 37代 斉明(さいめい)天皇(655–661年)皇極天皇が重祚
  4. 41代 持統(じとう)天皇(690–697年)
  5. 43代 元明(げんめい)天皇(707–715年)
  6. 44代 元正(げんしょう)天皇(715–724年)
  7. 46代 孝謙(こうけん)天皇(749–758年)後の称徳天皇(重祚)
  8. 48代 称徳(しょうとく)天皇 (764–770年)孝謙天皇が重祚
  9. 109代 明正(めいしょう)天皇(1629–1643年)
  10. 117代 後桜町(ごさくらまち)天皇(1762–1770年 現在のところ最後の女性天皇)
推古天皇
日本史上最初の女帝とされる推古天皇

過去の重祚の事例。1. 皇極天皇(こうぎょくてんのう)⇒ 斉明天皇(さいめいてんのう)概要: 35代皇極天皇が退位したのち、弟である孝徳天皇が即位。しかし孝徳天皇の崩御後、655年に37代斉明天皇として再び即位しました。背景: 息子の「中大兄皇子(のちの天智天皇)」が政治の実権を握っていたが、当時の緊迫した朝鮮半島情勢に対応するため、威信のある天皇を立てる必要があったとされている。2. 孝謙天皇(こうけんてんのう)⇒ 称徳天皇(しょうとくてんのう)概要: 46代孝謙天皇として在位したのち、一度退位して上皇となった、淳仁天皇と不和になり、764年の「藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)」を機に48代称徳天皇として再び即位した。背景: 皇室の権力を掌握し直すためのクーデター的な要素を含んだ即位だった。

book 笠原英彦著『皇室典範―明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで』中公新書(2025/1/22)

2026年7月10日

連邦判事がトランプに対する500万ドルの性的暴行賠償金を E・ジーン・キャロルさんに支払うよう命じた

DonaldTrump_JeanCarroll
連邦判事はトランプ大統領が E・ジーン・キャロルさんに500万ドルの賠償金を支払うように命じた

作家の E・キャロルさんは、陪審がトランプ大統領による性的虐待と名誉毀損の認定を行ったことを受け、連邦判事に大統領に賠償金の支払いを命じるよう求めていた。ニューヨーク・タイムズ紙が2026年7月8日、「連邦判事がトランプに対する500万ドル(約8億1,215万5,000円)の性的暴行賠償金を E・ジーン・キャロルさんに支払うよう命じた」というアビー・ヴァンシクル&ベンジャミン・ワイザー記者の記事を掲載した。同紙電子版は全ページ有料だが、今回この記事が「ギフト」として無料公開されたので、その抄訳をお届けしたい。

連邦判事は水曜日、作家の E・ジーン・キャロルさんに対し、陪審員評決に基づき500万ドルの賠償金を速やかに支払うよう命じた。これは、最高裁がトランプ大統領の上訴を棄却した数日後、そしてトランプ大統領が土壇場で判事らに再考を促そうとした試みにもかかわらずのことだった。マンハッタン連邦裁判所のルイス・A・カプラン判事は、2ページにわたる命令の中で、トランプが最高裁にこの件の再審理を求めた要請を却下した6月29日の最高裁の命令を引用した。これによりトランプが裁判所に預託していた資金がキャロルさんに返還される道が開かれた。マンハッタンの陪審は2023年5月、トランプが1990年代にマンハッタンのデパートでキャロルさんに性的暴行を加えたとして有罪判決を下し、キャロルさんに数百万ドルの賠償金を支払うよう命じた。トランプがソーシャルメディア上でキャロルさんの告発を「でっち上げで嘘」と呼び、キャロルさんの名誉を毀損したとも認定した。トランプは現在もキャロルさんへの暴行を否定し続けている。最高裁判所は先週、トランプの上訴を却下した理由を公表しなかった。これは最高裁が訴訟の受理を却下する場合によくあることであり、公的な反対意見も発表されなかった。最高裁の規則では、裁判官が上訴を却下した場合、当事者は25日以内に再審理を請求することができる。トランプの弁護士は水曜日の早い時間に同様の要請を提出し、最高裁判事らにトランプの上訴を審理するよう改めて求めるとともに、キャロルさんが関わる別の訴訟における上訴と併せてこの問題を取り上げるべきだと訴えた。裁判官がこのような要求を認めるのは稀ではあるが、全く前例がないわけではない。

A Dog in Heat Is a Hot Dog: And Other Rules to Live
E・ジーン・キャロルさんの著作『発情期の犬はホットドッグ』(1997年)

しかし法律専門家らは、今回のケースはキャロルさんが陪審員の評決による賠償金を受け取るのを阻止するための最後の手段だった可能性があると指摘している。ジョージタウン大学ロースクールのスティーブン・I・ヴラデック教授は「これは時間稼ぎのためのあからさまな策略のように見える」と述べた。先週の裁判所の却下後、キャロルさんは直ちに連邦判事に大統領に支払いを命じるよう求め、トランプが陪審の評決に基づく賠償金の支払いを「一貫して妨害し、遅延させようとしてきた」と主張した。最高裁判所は先週会期を終え、現在は夏季休会中です。判事らは緊急案件の審理は継続していますが、その他の案件を審議するための会合は9月まで予定されていない。判事らは9月に会合を開き、10月の第1月曜日に正式に始まる新会期に向けて準備を進めます。そのため、トランプの新たな要請については、数か月間審議されない可能性がある。その頃には、裁判所はキャロルさんとトランプに関連する2件目の訴訟を審理するかどうかも決定する必要が出てくるかもしれない。トランプの弁護士は水曜日に提出した請願書の中で、大統領は「間もなく」最高裁に介入を求め、別の陪審の評決を覆すよう求める予定だと述べた。この陪審は2024年、トランプが2019年にキャロルさんを中傷したと結論付け、トランプに8,330万ドルを支払うよう命じていた。請願書の中で、トランプの弁護士は、この2つの訴訟は密接に関連していると主張し、最高裁判事らは両方の訴訟を同時に審理するかどうかを決定すべきだと述べた。トランプの弁護団は水曜日、カプラン判事の命令に対して控訴する意向を示す通知を提出した。

筆者のアビー・ヴァンシクルは、ニューヨーク・タイムズ紙で最高裁判所を担当している。彼女は弁護士であり調査報道において豊富な経験を持つ。ベンジャミン・ワイザーは、同紙の記者で、マンハッタンの連邦裁判所と連邦検事局、そしてより広範な司法制度を取材している。以下のリンク先は当該記事の原文です。

New York Times  Judge Orders $5 Million Trump Judgment Be Released to E. Jean Carroll | Newyork Times

2026年7月8日

宗教考現学(11)イスラム式の葬儀の執り行い方を学ぶ

slamic funeral
死はイスラム教では人生の自然な一部とみなされる

イスラム教では死はアッラーの意志によって定められた、この世から来世への自然な移行とみなされている。クルアーン第2章アル・アンカブート第57節は「すべての魂は死を味わうであろう。そして、汝らは皆、我らのもとに帰されるであろう」と説いている。イスラム教徒が死期に近づくと、愛する人たちが集まり、支えとなり、信仰を思い出させてくれる。彼らは死にゆく人に罪を悔い改め、善行を振り返り、アッラーの慈悲に慰めを見出すよう促します。家族が、死にゆく人に最後の言葉として信仰を表明するよう優しく促すのはよくあることである。死亡が確認されると、遺族は故人の目を閉じさせ、遺体を布で覆い、これまでの過ちを許しを請う。そして埋葬に必要な儀式を急いで執り行う。イスラム教では、故人の埋葬は敬意と迅速さをもって行われ、通常は死後24時間以内に行われる。埋葬は遺族や地域社会の人々によって行われる遺体の洗浄から始まります。遺体は、香水や樟脳を染み込ませた水で数回洗浄され、タオルで拭かれた後、簡素な白い布で包まれる。埋葬に先立ち、イスラム教徒は集まって葬儀の祈り、サラトゥル・ジャナザを行う。この集団祈祷は、故人のためにアッラーの慈悲と赦しを求めるものです。参列者は遺体の前に列をなして立ち、声に出して唱える数語を除いて、黙祷を捧げる。

Islamic funeral
イマームは亡くなった男性の場合は頭と肩の高さに立つべきである
亡くなった女性の場合は腹部の高さに立つべきである

葬儀の祈りの後、遺体は埋葬のため墓地へ運ばれる。イスラム教の埋葬は簡素で謙虚なことが特徴で棺は使われないことが多い。白い布に包まれた故人は、メッカの方向を向いて右側を下にして墓に安置される。イスラム教の墓地はこうした理念を反映しており、質素な墓石と簡素さを重視している。イスラム教徒は死後、すべての人が平等であると信じているため、豪華な記念碑や花飾りは見られない。イスラム教における公式の喪の期間は、ほとんどの人にとって3日間である。しかし未亡人はイッダと呼ばれるより長い4ヶ月と10日間の喪の期間を守るのである。アッラーは「あなたがたの中で亡くなり、未亡人を残した者は、4ヶ月と10日間の待婚期間を守らなければならない」と仰せられたという。預言者ムハンマドはまた「アッラーと最後の審判の日を信じるムスリムの女性が、夫を除いて3日以上喪に服することは許されない。夫のためには4ヶ月と10日間喪に服すべきである」と述べたという。この期間中、未亡人は亡くなった配偶者への敬意を示すため、装飾品を身につけたり、特定の活動を控える。日中は必要な用事で外出することがあるが、厳粛な態度を保ち、喜びや祝賀に関連する活動は控える。下記リンク先は北米イスラム協会の解説記事「イスラム教の葬儀で何が起こるのか:非イスラム教徒のためのガイド」です。

イスラム教徒  Expect at a Muslim Funeral: A Guide for Non-Muslims | Islamic Circle of North America

2026年7月7日

ソーシャルメディアの弊害(32)不快広告をブロックする

ad-blocker
広告を非表示にするアドブロッカー

たったひとつの広告のために、ネット広告をブロックすることにした。明治薬品の耳孔掃除や角質取りなどの GIFアニメ広告が不快だったからである。ネット検索してみたところ、誇張された表現や下品な演出が多く、ネット上で「うざい」「気持ち悪い」と苦情が殺到しているといるようだ。明治薬品はウィキペディアによると、富山県富山市に本社を置く製薬会社。2020年以降はネット広告に力を入れているが、その広告の内容については不快と感じる消費者が多く、社内のコンプライアンス機能が機能していないことも指摘されているそうだ。なぜ不快に感ずるのか。同じ動きを繰り返す GIF アニメで、ユーザーの閲覧体験を著しく妨げ、いわゆる「悪質広告」として分類されやすい典型例で、ユーザーに精神的ストレスを与えやすく、結果としてその広告主や掲載メディア全体への不信につながってしまうのだろう。批判があるにも関わらず、どうやら広告を改善する気配は毛頭ないようだ。従って見たくもないのでブロックすることにした。ただ、当該広告のみを非表示にする方法はちょっとややこしい。私の能力の範囲を超えているので、ブラウザ Chrome の拡張機能 AdBlock を援用することにしてみた。AdBlock は YouTube などの動画サイトでの広告ブロックに特に優れた拡張機能である。動画前の広告や途中広告を効果的にブロックし、ストレスのない快適な視聴体験を実現する。また以下の機能を利用できる。

  • 画像や動画などの広告ブロック
  • サードパーティの追跡の無効化
  • 悪質な広告のブロック
  • 広告ブロック設定のカスタマイズ

カスタムフィルターの作成も可能で、特定のサイトや要素に対して独自のブロックルールを設定できる。ただしこの機能は上級者向けであり、基本的な利用であれば標準の設定で十分な効果が得られる。

Brave

ブラウザ Brave(ブレイブ)は AdBlock を標準装備し、ユーザーのプライバシーの保護、そして高いパフォーマンスを実現できることを売りにしている。試用してみたが、かなりのツワモノである。ウェブブラウザに表示される内容をユーザーがコントロールできるように設計されています。 また、広告会社やテクノロジー企業がオンラインユーザーをトラッキングするために使用する多くのツールをブロックすることで、ユーザーが自らのプライバシーを管理することを可能にしている。広告会社は、広告によって十分な収益を得ていると確信する。お気に入りのコンテンツの多くは広告のおかげで利用が可能になっている側面があるのは確かである。しかしそれは広告配信のアルゴリズムによる罠でもある。広告ブロッカーの目的は、迷惑で邪魔な広告をブロックすることに過ぎない。見たくないものを見えないようにするだけである。

technology 明治薬品の広告がうざいと感じる理由と不快な表現を徹底解説・対処ガイド | デジマーケジャーナル

2026年7月5日

フランスにおけるピクトリアリスム運動の主な提唱者だったコンスタン・ピュヨー

Des femmes avec des fleurs
Des femmes avec des fleurs, Halle-sur-Saale, 1902
Constant Puyo

コンスタン・ピュヨーは1857年11月12日にフランス北西部、ブルターニュ地域圏モルレーの名門ブルジョワ一家に生まれた。父親のエドモン・ピュヨー(1828-1916)は画家、アマチュア考古学者、政治家であり、1870年代にはモルレーの市長を務めた。彼の叔父エドゥアール・コルビエールはベストセラー作家であり、従兄のトリスタン・コルビエール(1845-1875)は有名な詩人であった。ピュヨーはエコール・ポリテクニークで学んだ後、フランス陸軍に入隊し砲兵将校となり、そのキャリアの中で司令官の階級に昇進し、ラ・フェールの砲兵学校で中隊を指揮した。1880年代にアルジェリアでフランス陸軍に勤務した。ピュヨーは幼い頃から絵を描き始めた。1882年頃、絵を撮影するためにカメラを使い始めた。カメラに魅了された彼は、北アフリカでのさまざまな旅行を記録するために写真を使い始めた。彼は絵画や彫刻などの他の芸術形式と同様に、写真自体が高度な芸術形式であると信じる写真家の一人となった。これらの写真家たちは。ピクトリアリスム(絵画主義)として知られるようになったものを形成した。1894年、ピュヨーはモーリス・バケが創設したパリ写真クラブに入会し、クラブのサロンの開催を支援した。 彼はクラブの会報にいくつかの記事を執筆し、フランスのピクトリアリスム運動の主要な理論家としての地位を確立した。

Eingeschlafen, 1897
Eingeschlafen, 1897

1896年、最初の著書『芸術写真に関する覚書』を出版し、写真が芸術作品の制作にどのように使用できるかを説明した。1902年に軍を退役した後、ピュヨーは写真に専念できるようになった。より芸術的な効果を得るために、ピュヨーとフォトクラブはガムバイクロメートや油性顔料のプロセスを試し、印象派的な効果を生み出す特殊なソフトフォーカスレンズを開発した。ピュヨーはこの時期にクラブのためにこれらのプロセスを詳細に説明した本を何冊か執筆または共著した。

bouquet de fleurs
Femme tenant un bouquet de fleurs

第一次世界大戦後、ピクトリアリスが衰退し、加工されていないストレートな写真が主流となったことは、ピュヨーにとって長年の不満の種であった。1920年代に写真クラブの会長を務めた彼は、ピクトリアリスムのスタイルに情熱を注ぎ続けた。ピュヨーは、写真が芸術とみなされるためには、被写体とは独立した美しさを創造しなければならないと考えており、そのため芸術写真家は事実よりも美しさを重視すべきだと考えていた。彼は写真の操作を個性の表現と捉え、写真が感情のない機械によって作られたという感覚を排除するために操作が必要だと考えていた。

Montmartre, 1904
Montmartre, Paris, 1904

ピュヨーの写真によく見られるテーマには、風景、様々なポーズをとった女性像、19世紀後半のパリの生活の様々な側面などがある。彼は当時の芸術運動、特に印象派から大きな影響を受けた。ピュヨーのよく知られた作品の一つである「モンマルトル」は、エドヴァルド・ムンクの「ラファイエット通り」に触発されたものである。アール・ヌーヴォーの模様は、ピュヨーが撮影した女性の多くの写真に見られる。ピュヨーは1926年に写真クラブの会長を退任し、モルレーの自宅に戻った。1933年10月6日、75歳で他界、サン・マルタン・デュ・モルレー墓地に家族とともに埋葬されている。下記リンク先はオークションハウス、クリスティーズの「ピクトリアリスムと芸術写真誕生について知っておくべき5つのこと」です。

LFCamera  5 things to know about Pictorialism and the birth of fine art photography | The Christie's

写真術における偉大なる達人たち

© Pedro Luis Raota
Pedro Luis Raota (1934-1986) "Lost Childhood" Argentina, Date unknown

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2026年7月5日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)
25/07/26ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマーレ(born 1984)
25/08/03色彩の卓越した表現を通して写真というジャンルを超越したデビッド・ラシャペル(born 1963)
25/08/20ヨーロッパ解放やコンゴ紛争などでの勇敢な取材で知られるドミトリ・ケッセル(1902–1995)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/08アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン(1882-1934)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/15指導者であり預言者であり歴史家であり学者だった写真家ジョン・ローエンガード(1934-2020)
25/09/17女性を客体ではなく主体として描写した写真家エレン・フォン・アンワースの視線(born 1954)
25/09/22精巧に演出された赤ちゃんたちの愛らしい写真で世界的に評価されるアン・ゲデス(born 1956)
25/09/26エロティックで都会的なスタイルの頂点を極めた写真家ヘルムート・ニュートン(1920-2004)
25/10/06モデルからファッション写真家に転じたスリランカ系英国人ナイジェル・バーカー(born 1972)
25/10/15ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)
25/10/17革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命(1886-1944)
25/10/20地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント(born 1964)
25/10/23政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ(1908-2002)
25/10/26直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し(born 1990)
25/11/12目に見えない鳥の飛行経路を可視化した作品で知られる写真家シャビ・ボウの秘技(born 1979)
25/11/18自身の文化的環境を探求したメキシコを代表する写真家グラシエラ・イトゥルビデ(born 1942)
25/11/25フォトルポルタージュの新たな時代を築いたスペインの写真家ラモン・マサッツ(1931-2024)
25/12/10畏敬の対象となる自然風景および聖なる場所を崇拝した風景写真家リンダ・コナー(born 1944)
25/12/23インド初の女性報道写真家で独立国家への変遷を記録したホマイ・ヴィヤラワラ(1913-2012)
26/01/04モデルから転身した写真家サラ・ムーンの雰囲気により際立った印象派的な作品(born 1941)
26/01/07音楽に合わせた写真「ドリーム・ピクチャーズ」で知られるブランソン・デク―(1892-1941)
26/01/22技術者の客観性と技術的志向を写真撮影に反映させたエミール・ハイルボルン(1900-2003)
26/01/26芸術的側面と社会的な側面の二つの特質を最適に供えた女性写真家アタ・カンドー(1913-2017)
26/03/05戦争や貧困など社会の底辺を記録して世界的な評価を得た写真家ドン・マッカラン(born 1935)
26/03/22カメラで芸術的インスピレーションを追求した写真家リオ・ディジローラモの軌跡(1934–2019)
26/05/05写真界では神童のような存在と見なされた巨匠ハロルド・ファインスタイン (1931-2015)
26/05/22形式と感情の巨匠:ドイツ人写真家トニ・シュナイダース不朽の遺産(1920-2006)
26/06/07スコットランド出身の華麗なるプリントのレジェンド写真家アルバート・ワトソン(born 1942)
26/06/11目撃者であることだけで十分かと自らを問いつめた夭折の報道写真家ジル・カロン(1939-1970)
26/06/23困難な状況下での撮影のための新しいツールを開発した写真家 J・R・アイヤーマン(1906-1985)
26/06/25イメージを通じて抽象的な科学的概念を幅広い層に伝えた写真家フリッツ・ゴロ(1901-1986)
26/07/05フランスにおけるピクトリアリズム運動の主な提唱者だったコンスタン・ピュヨー(1857-1933)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、フリッツ・ゴロなどのカラー作品を取り上げました。

photographer  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

2026年7月4日

宗教考現学(10)新独立原理主義バプテスト派とは

Linda Barnes Popham,
解任されたリンダ・バーンズ・ポファム牧師が南部バプテスト連盟の年次総会で抗議

新独立原理主義バプテスト派とは多くの人が極端だと考える信仰で知られるプロテスタントキリスト教会のネットワークである。このネットワークに属する各教会は、聖書を文字通りに解釈することに固執しているため、原理主義であると自認している。また新独立原理主義バプテスト教会は、信者の洗礼、聖餐、教会の統治、政教分離に関する信仰から、バプテストとも自称している。しかし原理主義でありバプテストであると自認する他のほとんどの教会は、新独立原理主義バプテスト教会とは交わりを持っていない。2000年代初頭、一部の独立バプテストの牧師や教会は、独立バプテストの伝統に不満を抱くようになった。これに対しアリゾナ州フェニックスの牧師スティーブン・アンダーソンは、2005年に新独立原理主義バプテスト教会となる教会の設立に尽力した。独立バプテスト運動は、バプテスト教会に現代的な思想が入り込むことへの懸念から、1900年代初頭に始まった。新独立原理主義バプテスト教会はバプテストの教義を堅持し、世俗からの分離を強調した。しかし新独立原理主義バプテスト教会を設立した人々は、旧独立原理主義バプテスト教会は十分に分離していないと考えた。新独立原理主義バプテスト教会は、キリスト教の中核的な教義を堅持している。彼らは、すべての人間は罪深い性質を持って生まれ、神から分離されているという原罪の教義を堅持している。彼らはイエス・キリストの完全な神性と人間性、そしてキリストの死、復活、昇天、再臨を信じている。彼らは三位一体、すなわち父、子、聖霊の三位一体の唯一の神が存在することを肯定している。

Stephen Anderson
フロリダ州の集会で抗議を受けるスティーブン・アンダーソン牧師

さらに新独立基礎バプテスト教会は、神がイエスへの信仰のみによる恵みによって罪人を救うというプロテスタントの中核的な教えを信奉している。彼らの教義声明には「私たちは救いは恵みによる信仰によってもたらされると信じています。主イエス・キリストを信じて新しく生まれることが、救いの唯一の条件です」とある。新独立原理主義バプテスト教会は、キング・ジェームズ訳聖書のみが神の権威ある言葉であると信じている。彼らの信仰声明には「私たちはキング・ジェームズ聖書が誤りのない神の言葉であると信じています」とある。このキング・ジェームズ聖書のみを信じる立場は、聖書の霊感を肯定しながらも現代の聖書翻訳を使用するほとんどのプロテスタントの伝統から新独立基礎バプテスト教会を区別している。実践的な宣教活動に関して、新独立原理主義バプテスト教会は、信仰を告白するクリスチャンに全身浸礼による洗礼を行っている。しかし多くの教会は会衆の場で聖餐式を行うことを拒否している。この運動の有力な指導者たちは、イエスの死を記念してパンと杯をいただくことは聖書に基づいているものの、教会員はそれを家庭で個人的に行うべきだと教えている。キリスト教徒と非キリスト教徒の批評家は、新独立基礎バプテスト教会の同性愛に関する見解を批判してきた。他のキリスト教の伝統と同様に、新独立基礎バプテスト教会は同性愛を罪だと考えている。しかし新独立原理主義プテスト教会の指導者の中には、同性愛者は救われないと主張する者もいます。このことから、新独立原理主義バプテスト教会の牧師の中には、政府は同性愛者を処刑すべきだと主張する者もいる。

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新独立原理主義バプテスト派の牧師たち

新独立原理主義バプテスト教会の教義声明の一つには「同性愛は罪であり、神が死刑をもって罰する忌まわしい行為であると私たちは信じる」と記されている。 キリスト教徒と非キリスト教徒の批評家は、新独立原理主義バプテスト教会が反ユダヤ主義を教えていると非難している。例えば新独立原理主義バプテスト教会の牧師の中には「イエス」などのヘブライ語をキリスト教の礼拝で使用することに強く反対する者もいる。彼らはヘブライ語やヘブライの慣習を用いるキリスト教徒は真のキリスト教徒ではないと主張する。さらにそのような慣習はキリスト教徒をユダヤ人に変えようとする試みだと述べている。加えて、新独立原理主義バプテスト教会の指導者の中には、現代のイスラエル国家を悪魔的だと表現する者もいる。新独立原理主義バプテスト教会は、多くの中心的な信条を共有する他のキリスト教会とも交わりを持たない。新独立原理主義バプテスト派の教師の中には、自分たちと意見が異なるプロテスタント教会は使徒の教えから離れてしまったと主張する者もいる。多くの新独立原理主義バプテスト派の指導者は、新約聖書で使徒が教えたことを真に守っているのは自分たちだけだと主張している。またキリスト教の歴史的な宗派は聖書の教えから逸脱してしまったとも述べている。新独立原理主義バプテスト教会は、ほとんどのプロテスタント教会が受け入れている使徒信条のような、歴史的なキリスト教の信条を拒否している。下記リンク先は米国最大のユダヤ人団体名誉毀損防止同盟の「新独立原理主義バプテスト(NIFB)運動」です。

Anti-Defamation League  The New Independent Fundamental Baptist Movement (NIFB) | Anti-Defamation League

2026年7月3日

米民主コロラド州予備選で現職に勝利した急進左派のメラット・キロス

コロラド州デンバーで支持者に語りかけるメラット・キロス(2026年6月30日)©マイケル・チャグロ

民主党のメンバーであるメラット・キロスが予備選挙で15期務めた現職のダイアナ・デゲットを破り、2026年のコロラド州第1選挙区の民主党候補となった。キロスはICE(移民税関執行局)の廃止、連邦政府による家賃統制、データセンター 建設の一時停止を支持している。キロスは1997年5月23日、エチオピアのアディスアベバでティグレ出身の家庭に生まれ、乳児の頃に両親が米国に移住した。選挙運動ウェブサイトによると、キロスは父親が米国の多様性ビザ抽選に選ばれる「数週間前」に生まれたという。コロラド州オーロラで育ち、イーグルクレスト高校に通った。メリーランド州のワシントン・カレッジを卒業後、2022年にノートルダム大学ロースクールを卒業した。その後、キロスはシドリー・オースティンのニューヨーク事務所で働いた。2023年、彼女は電子出版のプラットフォーム Medium に投稿し、パレスチナ支持の抗議活動に反対する法律事務所を批判し「イスラエル政府の行動とその正当性を批判すると、将来の弁護士の雇用見通しが恐ろしいものになる」と指摘した。シドリー・オースティンはキロスにその投稿を削除するよう求めたが、彼女が拒否したため解雇された。

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開票速報集会で熱狂する支持者たち(2026年6月30日)©マッケンジー・ラング

シドリー・オースティンを退職後コロラドに戻り、コロラド大学デンバー校公共政策大学院の公共政策博士課程に入学し、学生ローンの返済のためにバリスタとして働いた。2025年7月9日、キロスはコロラド州第1選挙区の連邦議会議員選挙への立候補を表明し、1996年に初めて連邦議会議員に選出された現職のダイアナ・デゲットに挑戦した。予備選挙中、キロスはジャスティス・デモクラッツ、アメリカ民主社会主義者、ワーキング・ファミリー・パーティー、バーニー・サンダース上院議員の支持を受けた。コロラド・サン紙は、イスラエル・パレスチナ紛争がキロスとデゲットの間で最大の政策上の違いであると報じた。キロスはイスラエルへの武器販売の全面禁止を支持し「イスラエルはもはやユダヤ国家ではなく民族主義国家であるべきだ」と主張した。予備選挙では多額の外部資金が投入され、主にデゲットを支援し、キロスを攻撃した。3つのスーパー PAC が選挙戦最後の2か月でキロスを攻撃する広告に130万ドルを費やした。キロスは6月30日の予備選挙で勝利した。本選で当選すれば、彼女は Z世代の女性として初めて連邦議会議員に選出され、マックスウェル・フロストに次いで2人目の Z世代の連邦議会議員となる。下記リンク先はメラット・キロスの公式ウェブサイト「手頃な価格のデンバーを実現する時が来ました。メラットに加わりましょう! 民主党員なら誰でもいいという時代は終わった」です。

民主党 It's time to deliver an affordable Denver, Join Melat! | 'Any Democrat will do' era is over

2026年7月2日

サグラダ・ファミリア大聖堂の尖塔を飾った建築家マウリシオ・コルテス設計の十字架

Sagrada Família
大聖堂の外装工事はほぼ完了しており内装工事は2028年まで続く予定

百年以上にわたる工事を経てバルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂の中央塔が完成した。当初の設計は教区建築家フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビジャールによって、当時の主流であった指針に従い、ネオ・ゴシック様式の要素《尖頭窓、バットレス、フライング・バットレス、そして尖った鐘楼》を取り入れて行われた。資材費をめぐる技術的な意見の相違により、この建築家は、当時この分野で頭角を現し始めていたアントニ・ガウディに交代することとなった。ガウディはプロジェクトを別の方向へと導き、それを「未来の教会」に向けた野心的な構想へと変貌させたローマ教皇レオ14世はバルセロナで建築家アントニ・ガウディの没後100年を記念する厳粛なミサを執り行い、大聖堂サグラダ・ファミリアの中央塔であるイエス・キリストの塔の頂上に新しい十字架が設置されたことも祝われた。この十字架の完成は、144年の歳月をかけて建設された聖地、サグラダ・ファミリアの外装工事がほぼ完了したことを意味する。教皇レオ14世は説教の中で戦争に反対し、サグラダ・ファミリアをカトリックの最高の理想の模範であると称賛した。そしてまた、教会の地下聖堂にあるガウディの墓も訪れた。教会の外装工事はほぼ完了しており、内装工事は2028年まで続く予定である。また正面玄関である「栄光のファサード」の建設工事も行われる。そこには大聖堂と通りをつなぐ壮大な階段が建設される予定だ。内装工事と新しい階段の設置が完了すれば、サグラダ・ファミリアは完成とみなされる。主任建築家は地元出身の建築家、ジョルディ・ファウリである。

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メキシコ人建築家が設計しドイツで製造された十字架

メキシコ人建築家のマウリシオ・コルテスがこの十字架を設計し、設置作業を指揮した。設置には数ヶ月を要し、非常に複雑な作業だった。コルテスは「これは10年以上にわたる努力の集大成です」「まるで夢が叶ったようです」とCBSニュースのインタビューで語った。コルテスはガウディの図面に基づいて十字架を設計した。このカタルーニャの建築家は「尊者」とみなされ、現在では聖人となる資格を有している。十字架は高さ5階建て、重さは約100トンである。構造をできる限り軽量に設計することが最優先事項であり、それがコルテスが採用した素材選びの一因となっている。十字架は外側に伸びる4本の腕を持ち、立体的な形状をしている。素材はステンレス鋼、白いエナメル加工のセラミック、そしてカタルーニャ産のステンドグラスである。この構造物はドイツで製造され、複数の部品に分かれてバルセロナに輸送された。到着後、外装材とガラスが設置された。クレーンで十字型の構造体を地上200フィート(約60メートル)の高さにある作業場まで吊り上げた。その後、建設専門家たちがステンレス鋼製の構造体を、三角形のパターンで配置されたエナメル加工の白いセラミック板とガラスで覆った。空中の工房から十字架は再び吊り上げられ、2月に完成した中央のイエス・キリストの塔の頂上という最終目的地に運ばれた。十字架が加わったことで、サグラダ・ファミリアは高さ566フィート(約172メートル)となり、世界で最も高い教会となった。下記リンク先はサグラダ・ファミリアの公式ウェブサイトです。

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2026年7月1日

宗教考現学(9)日本ハリストス教会の歴史

ニコライ堂復活大祭
東京復活大聖堂(ニコライ堂)の復活大祭(ウェブサイトより
ニコライ大主教

日本に正教会の教えを伝え、日本正教会(現在の日本ハリストス正教会教団)を創立したのは、ロシア出身の宣教師で、後に大主教となったニコライ・カサートキン(1836-1912)である。1853年の黒船到来を契機に、それまで鎖国政策を続けていた江戸幕府が開国に転じ、1858年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5か国とそれぞれ修好通商条約(安政五ヶ国条約)を締結。これに基づき横浜、函館、長崎の三つの港が西洋諸国との窓口として開かれた。帝政ロシアは函館に領事館を開設。その領事館付きの司祭としてニコライが1861年に着任した。領事館の敷地に建てられたチャペルは日本で最初の正教会の聖堂であり、現在は函館ハリストス正教会として、函館で一番の観光名所となっている。最初の聖堂は1907年の函館の大火で焼けたため、1916年に現聖堂が建てられ、現在は国の重要文化財に指定されている。ニコライは日本での布教を志していたが、来日当時の我が国ではキリスト教信仰は固く禁じられていた。しかし明治新政府がキリスト教の布教を解禁したことを受け、ニコライは本部を1872年に千代田区神田駿河台へ移転、現在に至っている。

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  ニコライ堂
日本ハリストス正教会ニコライ堂(千代田区神田駿河台)

その後ニコライは神田を拠点にして日本人宣教師の人材育成と、聖書や祈祷書の日本語への翻訳に生涯取り組んだ。その結果、国内各地で布教活動が行われ、聖堂が建てられた。それらの聖堂の中心となるものは、1891年に本部の敷地に建てられた東京復活大聖堂である。これは当時の東京で最も大きな建築物の一つであり、建立者のニコライの名にちなんでニコライ堂という愛称で呼ばれた。この大聖堂は1923年の関東大震災で大きく損壊したが、1929年に再建され、現在は函館ハリストス正教会と同様、国の重要文化財に指定されている。ニコライは明治の最後の年、1912年に他界した。

京都ハリストス正教会
京都ハリストス正教会(京都市中京区)

その時点で全国の信徒数は3万3千人に達しており、二本国内の教派ではカトリック教会に次ぐ2位の教勢があった。しかし1917年のロシア革命で、日本正教会の運営資金を提供していた帝政ロシアが崩壊。その後は関東大震災による本部の壊滅的な被害、昭和の戦時体制下でのキリスト教会迫害、戦後の米ソ冷戦時代のロシア嫌いな国民感情など、様々なマイナス要因が作用して、現在の信徒数は全国で1万人ほどでに留まっている。なおウクライナ紛争を背景とする「モスクワとコンスタンティノープルの断交」が起きた2019年以降、日本正教会は新生ウクライナ正教会を承認するコンスタンチノープル総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、ギリシャ及びキプロスの正教会[要出典]と断交状態にある。これは母教会たるロシア正教会の決定に従ったものである。下記リンク先は教会用品製造販売の A. Agritel の「日本正教会:信仰と文化交流の歴史」です。

christian  The Orthodox Church in Japan: A History of Faith and Cultural Exchange | The A. Agriteli