2022年12月1日

イエロー・マジック・オーケストラ結成前夜のコチンの月

King Records SKS-28
King Records SKS-28
細野晴臣(ケララ州コチン1978年)

1977年にイルカなどの海洋哺乳類保護運動を支援する、大がかりなコンサート「ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパン」が晴海であった。私は Fisheye '77 という写真家グループを結成してその記録写真を撮った。その縁で翌年4月、横尾忠則、細野晴臣らのインド旅行団に加わった。帰国後、細野晴臣が作った曲を、イエロー・マジック・バンドが演奏した LP アルバム「コチンの月(COCHIN MOON)」がリリースされたが、ジャケットは私が撮ったインド映画の看板を横尾忠則がコラージュした作品だった。裏表紙には私が撮影したケララ州コチン(現在のコチ)のマラバルホテルの写真が掲載されている。太田克彦のライナーノーツの一部を紹介しよう。

ピンク・ペリカン・ラベルのビールをを飲みつつづけていた写真家の大塚さんを除いて全員身体に変調をきたしたこのインド旅行の病人団員たちは、マドラス領事の古沢さん招待され、天婦羅ふるまわされてから急に元気を回復しはじめた。テーブルを囲みながらぼくの隣では古沢夫人が横尾さん、細野さん相手に気になる話をしきりにいるのがチラチラ耳にはいる。つまり夫人がUFOと遭遇したことを細かに語っているらしいのだが、ぼくの真ん前では領事が、<日本人先祖が南インド人説>とか、ハイジャック恐れる在印日本人たち>の話に熱弁をふるっている最中で残念なが夫人のUFO体験を聞くことができなかった。
マラバルホテル(ケララ州コチン)

旅のスタートはデリーだった。インドの風土を知っていた私は毎日内臓をアルコール消毒していた。高級ホテルということで安心したのか、出された水をそのまま飲んだり、氷を齧ったりしたためか、私を除いた全員が酷い下痢症状に見舞われ「印度下痢旅行団」と化したのである。医師がいささか「怪しげな」薬を処方してくれたが、一向に回復しない。そのままマドラス(現在のチェンナイ)に向かったのだった。窮状を知った日本人乗客が領事館に連絡してくれただった。そして次のコチン(現在のコチ)に着いたころは全員元気になっていて、南インドの牧歌的な景色を楽しむことができた。私は細野晴臣と、門外漢ながら、ドイツのクラフトワークなど、テクノポップについて楽しい会話をしたことを憶えている。ビニール LP 盤が制作されたが、リリースしたもののまったく売れなかったようだ。2005年 CD復刻され、稀少音源として注目されるようになった。帰国後、細野晴臣は坂本龍一、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成、世界的なヒットを飛ばし、一世風靡したのはご存知の通りである。アルバム「コチンの月(COCHIN MOON)」は早すぎた傑作だったのである。

 細野晴臣(Haruomi Hosono)横尾忠則(Tadanori Yokoo)コチンの月(COCHIN MOON)全曲

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