2019年7月13日

祇園祭「蘇民將來子孫也」の謂れ

横山崋山《祗園祭礼図巻》下巻(部分)1835-37(天保6~8)年

祇園祭山鉾巡行を17日に控えた長刀鉾(京都市下京区四条通烏丸東入る)で粽(ちまき)を授与していただいた。粽というと植物の葉で包んだもち米を連想、童謡『背くらべ』の「ちまき食べ食べ兄さんが計ってくれた背のたけ」と口ずさむ人がいるかもしれない。古くは茅(ちがや)の葉で巻いたことから、茅巻き(ちまき)と呼ばれるようになったという。祇園祭の粽は食べ物ではなく、笹の葉で作られた厄病災難除けのお守りである。小さな護符がついていて、見落としがちだが「蘇民將來子孫也(蘇民将来子孫也)」と書いてある。祇園祭は八坂神社の祭礼行事だが、ウェブサイトで次のように説明している。
長刀鉾の粽(ちまき)の護符
八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。また7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祭」が行われ、「茅之輪守」(「蘇民将来子孫也」護符)と「粟餅」を社前で授与いたします。このお祭をもって一ヶ月間の祇園祭も幕を閉じます。
つまり「私は蘇民将来の子孫です。ですからで病気や災いから護って下さい」という願いを込めて書いた護符を身に着けた蘇民の一族は、後に疫病が流行った際も、逃れることができたという。ところで本題の祇園祭だが、869(貞観11)年、疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神、スサノオノミコトらを迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。その後、疫神を鎮め、退散させるために花笠や山車を出して市中を練り歩く夜須礼(やすらい)の祭祀となった。悪霊や疫鬼は祭りの際の踊りによって、追い立てられて八坂神社に集められるが、そこには蘇民将来がいる。そしてスサノオノミコトの霊威によって悪霊や疫鬼の鎮圧、退散が祈願されたのである。各山鉾で授与される「蘇民將來子孫也」と記した護符をつけた粽は、このような故事にちなんだものなのである。

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