2018年10月28日

ペリー提督の黒船ミンストレル・ショー

高川文筌『米利堅船燕席歌舞図』嘉永7年(1854)真田宝物館蔵

プログラム(クリックで拡大)
前エントリー「バンジョーの歴史とミンストレル・ショー」で、バンジョーが19世紀から20世紀初頭にかけて流行った、ミンストレル・ショーに欠かせない楽器となったと書いた。ブラックフェイス批判によってミンストレル・ショーは消滅したが、ショービジネスの歴史の観点に立つと重要な役割を果たしたといえる。そのミンストレル・ショーが嘉永7年(1854)、日本で演じられたことは案外知られていないかもしれない。主催したのは黒船来航で日本を驚愕させたマシュー・ペリー提督(1794–1858)である。ご存知ペリーは嘉永6年(1853)アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻を率い、浦賀沖に停泊させ、アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡した。そして翌年に横浜沖に停泊、日米和親条約締結に至った。開国交渉中に幕府の高官が招待され、ミンストレル・ショーが演じられた。笠原潔著『黒船来航と音楽』(吉川弘文館2001年)によると、交渉の節目ごとに横浜以外の函館と下田でも行われたという。プログラムを見ると、第1部、第2部に続き、ヴァイオリンの独奏をはさんで、ブルレスクの『リヨンの娘』で終わっている。ミンストレル・ショーの音楽を手掛けた、スティーブン・フォスター(1826-1864)の『アンクル・ネッド』『主人は冷たい土の中』などの新作も披露された。公演の様子を描いた高川文筌の絵を見ると、バンジョー、ギター、フィドル、フルート、タンバリン、トライアングル、ボーンなどの楽器が使われている。 ペリー提督と共に日本に上陸したアメリカ音楽、黒船来航は西洋音楽の来航だった。

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