2018年1月9日

バンジョーの歴史とミンストレル・ショー

Old plantation in Beaufort County, South Carolina ca.1785-1795 (Wikipedia)

テレビ番組での黒塗りメイクを巡る問題で投稿した前エントリー「ブラックフェイス(黒塗りメイク)は人種差」の最後の下りで「ミンストレル・ショーは、アメリカにおける音楽を含めた大衆芸能のルーツであることも歴史的事実である」と書いた。黒人差別であるブラックフェイス批判によってミンストレル・ショー消滅したが、ショービジネスの歴史の観点に立つと重要な役割を果たしたといえる。太鼓に絃を張った楽器は古代ペルシャに源を得ることができるようだが、東回りで日本の三味線に、西回りでバンジョーに進化した。バンジョーは先住民族を蹴散らして「建国」されたアメリカ合衆国で生まれた数少ない民俗楽器である。ご存知黒人奴隷が編み出した楽器なので、その成り立ちについては文献歴史学上の史料に乏しい。例えばウィキペディアには、西アフリカのセネガンビア(Senegambia)すなわちセネガル、ガンビア地方のバンジョーに似た民族楽器、エコンティング(Akonting)を紹介している。しかし奴隷船の図を見ると、奴隷たちは船倉の蚕棚にぎゅうぎゅう詰めで押し込まれ、とてもじゃないが楽器をアメリカ大陸に運んだとは考え難い。またバンジョーの語源として、セネガンビアのバンドア(bandore)という言葉を挙げているが、想像の域を出ていないと思う。実はこの地方を旅行したことがある。なんとガンビアの首都は響きが似たバンジュル(Banjul)で、ガンビア河の河口にある。かつての奴隷貿易の基地であり、ひょっとしたら関係があるかもしれないと夢想したことがある。

Minstrel Banjo Player (Mid 1800s)
西アフリカ旅行中に子どもたちが空き缶に絃を張った素朴な楽器で遊んでいるのを見た。黒人奴隷たちはアメリカ南部の農園生活の中で、何らかの楽器を想像しながら、太鼓に絃を張った楽器を作ったのではないかと私は想像している。バンジョーは19世紀から20世紀初頭にかけて流行ったミンストレル・ショーに欠かせない楽器となった。黒人に扮した役者に相応しい黒人の楽器だったからである。ショーにはフィドル、ボーンズ、ドラムなどが加わり、アメリカの大衆音楽の礎となった。ミンストレル・ショーにおけるバンジョーはダウンストローク、今日、フレイリングと呼ばれている奏法だった。5絃バンジョーの特長は文字通り第5絃にある。他の絃よりも短く、ネックの途中から張るので、一番音が高い絃である。ミンストレル・パフォーマーだったジョエル・スウィーニーが発明したという説があるが、これは間違いである。彼は1810年生まれで、その前世紀、1700年代後半に描かれた黒人グループの絵画を見ると、すでにネックの途中にペグがついているからである。20世紀に入り、ラジオ放送と商業レコードの普及により、ミンストレル・ショーによって培われた音楽が、アメリカ全土に拡散していった。そして21世紀の現代でも、バンジョーはフォークソングやカントリー、特にブルーグラス音楽の花形楽器として君臨している。

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