2017年9月23日

写真が写真に帰る日

野島康三「題名不詳」1931年(京都国立近代美術館蔵

伊奈信男写真論集
何度かこのブログに書いてきたたが、写真術が生まれて間もなくソフトフォーカスが流行り始めた。後にピクトリアリズム写真と呼ばれるようになったのだが、ふたつの理由があった。写真は芸術かという論争を経て、後期印象派の真似をして芸術たらんとした。それからディテール描写への拒否という感覚から流行したものだ。20世紀になり、その旗手は米国ではアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)、日本では野島康三(1889-1964)であったが、やがてふたりともストレート写真に回帰する。戦後、といっても1970年代後半だが、欧州においてトイカメラブームが勃発した。後年、日本には商業主義と絡んだカタチで輸入されて販売されたが、ダイアナ、ロモ、ホルガといったB級カメラを使った新たな表現であった。そこには写り過ぎるカメラへのアンチテーゼが潜在、写真はブレていてもよい、不鮮明でもよい、という一種の芸術運動であった。別の潮流にピンホールやゾーンプレート写真があったが、私はこれらを一緒に第2次ピクトリアリズムと呼んでいる。ところが昨今、デジタル画像処理によって、さらに新たな写真表現が生まれつつある。電子フィルターによって作られる映像群は、トイカメラ写真同様、ストレート写真から離れた表現になっている。私はこれをさらに第3次ピクトリアリズムと呼ぼうと思っている。とはいえ、私がこれに染まっているわけではない。興味を持っているが、その先にある新たなストレート写真への回帰を予感しているからだ。ふと伊奈信男写真論集『写真に帰れ』(平凡社2005年)が書棚にあることを思い出した。伊奈信男(1898-1978)が1932年5月、写真同人誌『光画』創刊号に寄せたものの復刻で、日本における近代写真批評の嚆矢(こうし)となった論文である。写真の独自性を主張する内容となっており、芸術写真と絶縁せよと迫った。名取洋之助(1910-1962)が立ち上げた「日本工房」に参加した木村伊兵衛(1901-1974)も同人だったが、報道写真に傾斜していた。同誌の出版費用を負担した野島康三は、芸術写真に拘り、従って必ずしも『光画』の論調に同調したわけではなかったようだ。しかし彼もストレート写真に回帰、一世風靡していたピクトリアリズムの衰退を招いたのである。歴史は繰り返すという諺があるが、デジタル処理した「芸術」が席巻している現代の写真界、ひょっとしたら「写真に帰る」雪崩現象が起こるかもしれないと予感している。

3 件のコメント:

  1. 携帯電話カメラで、素人が撮る写真は、カラーバランスとか、基本的なところがおかしいものがまだまだ多く、フィルターで誤魔化すという意味合いが強いのではないでしょうか。また、ノベルティー効果が薄れたので、量的には多くとも、新たな動きがないかぎり、評価があがることも、少ないように思います。

    逆に、単体写真機を使った写真は、ある程度以上真剣な人だけが残ったので、こちらは別の方向に行くと思います。カメラメーカーは結構誤算があるように思います。

    HDRとか、いろいろな技法は、一時はやりすぎ感があり、最近はそれほど見なくなりましたが、技法の多様化は進むと思います。

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    1. かつて「写ルンです」のような使い捨てカメラが写真撮影の大衆化を招いたのですが、今はスマートフォンですね。SNSに写真を投稿する場合、ちょっとお洒落な加工をしてくれるので、インスタグラムのようなアプリが流行ってると思います。たぶん、それは写真が芸術作品であるという認識ではなく、単にお喋りの道具になっているわけでして、それはそれで結構だと思ってます。デジタル技術によって写真表現が多様化しているのは事実だと思います。行き場を失った「芸術写真家」の一部が湿板写真などに手を出してますが、いささか時代錯誤じゃないかと感じています。

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  2. ある意味でノベルティー効果を狙う古い技術の再現と、新しい表現では、土俵が違うので、藝術として写真を研究している人達やキュレーターなどがそこを間違えることは無いと思います。

    お喋りの道具というのは、SNSプラットフォーム企業からしてみれば、広告コンテンツを消費する道具ですから、ある意味、無賃の商業写真として位置づけていいのかも知れません。

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