2016年8月12日

愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ

浄瑠璃寺吉祥天像(香取良夫『白描画でわかる仏像百科』角川ソフィア文庫2016年)

7月下旬「秋篠寺伎芸天像の妖艶」という一文をポストしたが、その時に薬師寺の僧、景戒(生没年不詳)が787年(延暦六)に著した『日本霊異記』の中のエピソードを織り込むかちょっと迷ったが、筋書きが錯綜するので見送った。つまり拙文に「私は強烈なエロティシズムをこの像に感じてしまったのである。いつの間にか天女の裸体を、生身の裸体を想像していた私に、私自身が驚愕する」と書いた。この下りで『日本霊異記』の「愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇き表を示しし縁 第十三」を思い出したからだ。
聖武天皇の御世、信濃の国の優婆塞(うばそく)その山寺に来り住し、天女の像を睇(み)て愛欲を生じ、心に繋けて恋い、六時(晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)ごとに願いていわく、天女のごとき容(かお)好き女を我に賜へという。優婆塞、夢に天女の像に婚(くなか)うと見、明日睇れば、その像の裙(も)の腰、不浄に汚せり。
中田祝夫氏の現代語訳によれば、ある修行僧がある夜、天女の像と交接した夢を見た。あくる日天女の像を見回すと、裳の腰のあたり、不浄の物が染みついて汚れていたので、恥ずかしさのあまり「わたしは天女に似た女が欲しいと願っていたのに、どうして畏れ多くも天女ご自身がわたしと交接されたのでございますか」とつぶやいた。後日、師に追われた弟子が、師の悪口を言い、吉祥天女との情事を暴いた。この話を聞いた里人が確かめると、その像は淫水で汚れていた。修行僧は隠しきれず、理由を説明した。深く信仰すると、神仏に通じないおとがことはないということがわかった。『涅槃経』に「多淫の人は絵に描いた女にも愛欲の情を起す」というのは、このことをいうのである。

中田祝夫訳注『日本霊異記』(講談社)
この吉祥天女像は和泉国泉郡、現在の和泉市の山寺にあったものだが、私は京都府木津川市の浄瑠璃寺のそれを拝観したことがある。内陣は暗く懐中電灯を頼りに厨子の中の天女を覗き込んだ。胡粉で塗られた肌はあくまで白い。柔らかくふくよかな頬、弓のようなくっきりした眉。そして何よりも好ましいのは、その小さな朱の唇だ。豊満な、つまりグラマーな肉体は、色鮮やかな、唐の貴婦人をイメージする盛装に包まれている。まさしく薬師寺に伝わる吉祥天画像の立体化、具現化をここに見ることができる。ひときわ鮮やかなのは、腰に着けられた白い帯である。いや、色彩がではない、目に鮮やかなのだ。妖艶とでも表現するのだろうか、ふくよかな肉体のラインを見せる帯のカーブは、性的なもの以外の何物でもないだろう。

仏教の初期において、性愛に関しては激しい戒律があった。釈尊は出家者に対し性交を厳しく禁じた。その雰囲気はとくに小乗仏教に濃厚な色彩で残っている。釈尊は人間の欲を戒めた。欲と言うのは人間を堕落せしめるもので、とりわけ性欲は脱却しにくいゆえ、そうしたのだろう。性欲は人間の自然な発露であり、ことさら禁ずるのはおかしいと思う。おそらく仏教の戒律というのは、ある種の歯止めを作ったのではないかと思うのである。現代では仏像や仏画がポルノグラフィーになるとは考え難いけど、吉祥天女像と夢の中で交接、射精した僧の逸話は、極めて人間的だと感心する。

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