2016年7月14日

祇園祭:蘇民將來子孫也

竹原春朝斎「祇園會」(都名所圖會1780年)

長刀鉾の粽(ちまき)
祇園祭山鉾巡行を17日に控えた長刀鉾(京都市下京区四条通烏丸東入る)で粽(ちまき)を授与していただいた。粽というと植物の葉で包んだもち米を連想、童謡『背くらべ』の「ちまき食べ食べ兄さんが計ってくれた背のたけ」と口ずさむ人がいるかもしれない。古くは茅(ちがや)の葉で巻いたことから、茅巻き(ちまき)と呼ばれるようになったという。祇園祭の粽は食べ物ではなく、笹の葉で作られた厄病災難除けのお守りである。小さな護符がついていて、見落としがちだが「蘇民將來子孫也(蘇民将来子孫也)」と書いてある。祇園祭は八坂神社の祭礼行事だが、ウェブサイトで次のよう説明している。
八坂神社御祭神、スサノヲノミコトが南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。
つまり「私は蘇民将来の子孫です。ですからで病気や災いから護って下さい」という願いを込めて書いた護符を身に着けた蘇民の一族は、後に疫病が流行った際も、逃れることができたという。さて本題の祇園祭だが、平安時代前期の貞観11年(869)京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神、スサノオノミコトらを迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。その後、疫神を鎮め、退散させるために花笠や山車を出して市中を練り歩く夜須礼(やすらい)の祭祀となった。悪霊や疫鬼は祭りの際の踊りによって、追い立てられて八坂神社に集められるが、そこには蘇民将来がいる。そしてスサノオノミコトの霊威によって悪霊や疫鬼の鎮圧、退散が祈願されたのである。各山鉾で授与される「蘇民将来子孫也」と記した粽は、このような故事にちなんだものなのである。

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