2015年9月6日

何故モノクロ写真は美しいか

ビアガーデン
整列(京都市下京区烏丸通七条下る)SONY Xperia Z3

スマートフォンの画像編集アプリ
写真術はモノクロから始まったが、絵画のようにカラーからだったらどうなっていただろうか?と考えたことがある。おそらくモノクロの写真は生まれなかったのではないだろうか。デジタルカメラはカラーから出発したが、ときにモノクロのそれを見ることがある。ライカMモノクロームのようなモノクロしか撮れないカメラは例外で、普通はカラーを写すようになっている。だからモノクロ写真を作るには、カラ―情報を破棄する必要がある。撮る段階あるいは事後処理で行うのだが、長い間私はこの方法を避けてきた。というのは、モノクロ印画紙の黒は、銀粒子の黒で深みがある。デジタルカメラで撮った場合は、デジタルネガを作り、銀塩印画紙に焼くという特殊な方法もあるが、一般にはインクジェット出力など、染料や顔料によるもので、銀粒子が持つ漆黒の美には負けてしまうからだ。しかしながらコンピュータで画像をコントロールできるというデジタルプリントの良さもある。最近スマートフォンで撮った写真をソーシャルメディアFacebookなどに投稿する試みを始めたが、試行錯誤を経て、カメラ内蔵の画像編集アプリケーションでモノトーン化することが多くなった。モノクロ写真のほうが美しいと感じるからだ。カラーという饒舌を捨てると、陰影のみ、つまり光のみによるシンプルさが美しいのである。日光東照宮の陽明門に象徴される豪華絢爛な色彩も美の一極地には違いないが、省略と言う昇華も、その対極にある美であることは水墨画にも表れている。フィルム時代に書かれたものだが、石内都さんは著書『モノクローム』(筑摩書房1993年)の中で次のように書いている。「現実を写し撮ることも写真の機能の一つであるけれど、それ以上に眼の前にあるモノを写し変える作意が、写真には満ちている。モノクロームはその作意やもしくは意図が、黒と白の間に、しとやかな一条の光を呼び起こし、漆黒の影を紡ぎ出し、見えない世界をおびきだす」云々。名言である。

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