2014年7月31日

京の七夕は八月です

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日 程: 2014年8月2日(土)~11日(月)
時 間: 点灯 19:00~21:30
場 所: 堀川会場…今出川通~御池通・鴨川会場…御池大橋~四条大橋
照 会: TEL 075-222-4133(京の七夕実行委員会事務局)
詳 細: http://www.kyoto-tanabata.jp

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2014年7月28日

無頼のシャンソニエひがしのひとしに捧ぐ献杯の夕べ

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日   時: 2014年8月3日(日)19:00~(お店は18:00から開いてます)
場   所: Heaven HiLL(大阪市北区堂山町7-18 伊勢屋ビル3F)06-6315-7776(地図
世話人: 勝木徹芳/宮里ひろし/廣石雅信/桝井耕一郎
会   費: ライブチャージ1,500円(献杯用の1ドリンク付き)+バーチャージ300円

2014年7月27日

法界寺の阿弥陀如来はなぜ南を向いているのだろうか

蓮池  法界寺(京都市伏見区日野西大道町)

国宝阿弥陀如来坐像
南山城浄瑠璃寺の境内図を見ると、池をはさんで西側に九体の阿弥陀坐像を並べた阿弥陀堂、東側に薬師如来坐像を安置した三重の塔が、同一軸線上に向かい合っている。平安時代中期、貴族社会に迎えられた極楽浄土への欣求は、仏堂を観想念仏のための道場と言うより、浄土の有様を現世に実現すべく造工されるようになった。その典型が宇治の平等院だが、京都市伏見区の法界寺もまた藤原氏の一族である日野家の権勢によって創建されたものである。蓮池の東側に建つ薬師堂の秘仏、重文の木造薬師如来像は西を向いている。しかし池の西側には仏堂がなく、薬師堂の北側に阿弥陀堂がある。内陣須弥壇上に結跏趺坐した国宝の阿弥陀如来坐像が安置されている。極楽浄土を体現するなら東に向いているはずだが、なぜか像は南向きだ。かれこれ10年前に参詣したときに住職に伺ったところ「複数の像が作られたが、その一体が残ったためではないか」という答えが返ってきた。先日再訪して尋ねたところ「複数の阿弥陀堂が造られたためではないか」と、ほぼ同じ返答があった。それならどのような伽藍配置をしたのか、という疑問が湧くが、重ねての質問は遠慮した。手元の新人物往来社編『日本「寺院」総覧』には「薬師堂、阿弥陀堂、を中心に観音堂、五大堂、弥勒堂、奥の院等多くの堂塔伽藍が甍を接したが、度々の兵火により境内は現在のように縮小された」とある。現在の阿弥陀堂は鎌倉前期に再建されたものであるが、池の西側には敷地がなかったのだろうか。それとも境内東側の山々を借景とするために、敢えて現在地に建てたのだろうか。この10年間の謎が未だに解けない。

2014年7月25日

京都五条坂「陶器まつり2014」の案内


日 時:2014年8月7日(木)~10日(日)午前9時~午後10時
会 場:京都市東山区五条通川端~五条通東大路(地図
交 通:京阪「清水五条」市バス206・207「五条坂」
詳 細:http://www.toukimaturi.gr.jp/
主 催:五条坂陶器祭運営協議会  075-541-1192

※同じ期間中に精霊を冥府から迎えるため六道珍皇寺を参詣する「六道まいり」の風習があります(詳細

2014年7月23日

画家レベッカ・ソールスベリードの覚え書き


Winter in Taos, 1948
近代アメリカを代表する画家ジョージア・オキーフ(1887-1986)と、写真史に欠かすことができない写真家アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)が紆余曲折の上、結婚したことは余りにも有名である。ところがアルフレッドの弟子ポール・ストランド(1890–1976)と三角関係だったことが、べニール・アイスラー著『オキーフ/スティーグリッツ(愛をめぐる闘争と和解)』(朝日新聞社刊)に詳しいが、この件は余り知られていないかもしれない。そのポールは1922年にレベッカ・ソールスベリー(1891-1968)と結婚するのだが、アルフレッドがレベッカをモデルにヌード写真を撮っている。ではレベッカはどんな女性だったのだろうか。両親がバッファロー・ビル・ワイルド・ウェスト・ショーでロンドンを旅行していた間の1891年に生まれた。父の死後、1902年に母と共にニューヨークに定住する。ポール・ストランドと知り合ったのは1919年ごろだったと思われる。ポールとジョージアを引き合わせたのは他ならぬアルフレッドで1917年だった。上記の通り、ポールとジョージアは肉体関係を持つのだが、その錯綜した人間関係に俗な好奇心を抱いてしまうのは私だけだろうか。レベッカは独学で絵画を学んだが、明らかにジョージアの影響を受けている。1930年にポールと離婚し、頻繁に訪問していたニューメキシコ州タオスに移る。1937年にはビル·ジェームズと結婚し、1968年に亡くなるまでタオスに住んだのである。一方、ポールはアメリカ合衆国で起きたマッカーシズムに追われ、1949年にフランスに移住する。27年間に渡る亡命生活を支えたのは、三人目の妻で写真家のヘイゼル・キングスベリー(1907–1982)だった。

PDF  Harwood Museum presents "Rebecca Salsbury James- Paintings and Colchas"

2014年7月22日

日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」展

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日 時:2014年08月01日(金)~ 2014年09月28日(日)10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
会 場:愛知県美術館 名古屋市東区 東桜1-13-2 愛知芸術文化センター10F
料 金:一般 ¥500/高校・大学生 ¥300/中学生以下無料
照 会:TEL: 052-971-5511(代) / FAX: 052-971-5604 / MAIL: apma-webmaster@aac.pref.aichi.jp
詳 細:http://imaonline.jp/ud/exhibition/53b61e66abee7b51d9000001

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2014年7月20日

伊島芸術祭「楽園」2014 三好和義と写真愛好家たちの写真展

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期 間: 2014年7月20日(日)~8月10日(日)
場 所:徳島県阿南市伊島
主 催: 伊島芸術祭実行委員会 Tel: 0884-27-0019(開催期間中)
詳 細: http://ishimaart.com/

黒谷さんのアフロヘア石仏

五劫思惟像  金戒光明寺(京都市左京区黒谷町)

墓地は石造美術の宝庫である。金戒光明寺、通称黒谷さんの文殊塔への石段を登り始めてすぐ、左側に大きな螺髪(頭髪)の石造阿弥陀如坐像が結跏趺坐している。これはアフロヘア石仏と呼ばれて人気があるようだ。正式には五劫思惟像という。無量寿経によると、阿弥陀は釈迦と同様、四十八願を達成するために五劫の間、考え抜かれたという。四十里の高さの岩山があり、天人が舞い降り、衣で岩を撫でる。これを百年ごとに繰り返すと岩が擦り、やがて消滅する。これが一劫で、その五倍が五劫で、その間に毛が伸びてこのような姿になったというのである。若い女性と年配の男性が、カメラ収めていた。石段をもう少し登った右側、法然上人御廟の前に二体の地蔵菩薩像がある。丸彫りの立派な石像だ。山内塔頭のひとつ、蓮池院熊谷堂は、出家した武将、熊谷直実が庵を結んだ場所だが、横に阿弥陀如来坐像が安置されている。青銅製の美しい露仏である。

2014年7月19日

狸谷山不動院参詣記

信楽焼の狸  狸谷山不動院(京都市左京区一乗寺松原町)

光明殿の石像十五仏
詩仙堂を過ぎたあたりから、坂道が急にきつくなった。車道が尽きると鳥居があり、その先は石段になっていて、250段もあるという。69段目に弘法大師の青銅像があり、健脚を祈願したミニ草鞋がたくさんぶら下がっていた。半分登った126段目に大師を祀った光明殿があり、廟の周囲を15体の石仏が囲んでいる。施主の銘はあるものの、建立年は彫ってないが、陰影が明瞭でかなり新しい像と思われる。石段を登りきると、信楽焼の狸迎えてくれた。狸谷山は咤怒鬼(たぬき)不動明王に由来するという。石造の本尊で、断崖絶壁の洞穴の中に座している。戦後、この像を囲む本殿が建てられた。清水寺の舞台に似た懸崖造りで、これによって誰でも簡単に参拝できるようになったようだ。僧の案内で内陣奥、間近から拝することができたが、写真撮影は断られた。本殿回廊から京都市街が遠望できた。円柱に「ガン封じ」の木札がびっしりかかっている。厄除けで知られる寺だが、やはり病気予防、治癒祈願をする人が多いそうだ。石段に息切れした私は、足腰の衰えを痛感、寺務所でミニ草鞋を求めることにした。石段を下り、坂道を下ると、送り火で知られる五山のひとつ、大黒天山の「法」の字が見えた。

2014年7月18日

せんそうはすべての愛をこわす★護憲ポスター注文殺到

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東京新聞電子版より:せんそうはすべての「愛」をこわす-。安倍政権が進める解釈改憲に反対する市民団体が作製した護憲ポスターのメッセージだ。優しいイラストとともに日本国憲法の「愛」を守りたいと訴えるポスターは共感を広げ、全国から注文が殺到している。赤ちゃんを抱く母親と父親。その周りを猫や鳥、象などの動物たちが花を手に取り囲む。こんなイラストの護憲ポスターは今年四月「九条の会・石川ネット」(金沢市)など三団体が作製した。(記事全文を読む

九条の会・石川ネット: http://www.9jo-ishikawa.net/

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2014年7月17日

清楚で清々しい詩仙堂の半夏生

半夏生  詩仙堂(京都市左京区一乗寺門口町)

今日は祇園祭り山鉾巡行の日だったけど、何故か四条通界隈に足が向かず、むしろ正反対の左京区の狸谷山不動院に出かけた。市バス「一乗寺下り松町」から歩き始めたのだが、詩仙堂を過ぎた辺りから坂の勾配が急にきつくなった。タクシーを拾えば良かったと反省する。この先、不動院の本殿に行くには、250段の石段が待ってるのを思い出したからだ。それでも何とか参拝を済ませ、帰路、折角だからと詩仙堂に入った。庭に半夏生(はんげしょう)が咲いていた。この花の葉が半分白くなって、化粧しているようになるこの季節を半夏生という。つまり半化粧が転じて半夏生になったわけである。今年は二週間前の7月2日がその日だったそうである。清楚で清々しい。眺めているうちに、不動院の石段登りの疲れが消えたようだ。

2014年7月16日

浮かび上がった千本ゑんま堂の地獄絵

閻魔王庁の図  引接寺(京都市上京区千本通鞍馬口下る)

京都の引接寺、通称千本ゑんま堂の外陣両側の壁面に、桃山時代の狩野元信(1476?-1559)が描いた地獄の板絵がある。地獄絵としては日本一の大きさらしいが、吹きさらしのせいか、傷みがひどく消えかかっているのが惜しまれる。照明がなく、入口から入る薄明かりが頼りだが、黒く煤けた感じで、何が描いてあるかよく分からない。目を凝らして伺うと、北側半分の左上部に閻魔法王らしき姿がある。試しに写真を撮ってみた。カメラは明るいものを暗く、暗いものを明るくするという動作をする。画像処理ソフトでさらに明るくしたら、よく分からなかった絵が浮かび上がった。赤外線やX線で目に見えないものを写す技術があるが、普通のデジタルカメラで撮ったに過ぎない。これは自分でも意外な発見である。他の部分も撮ってみようと思う。

2014年7月15日

金戒光明寺西雲院の王鞬南居士像

ハス  金戒光明寺西雲院(京都市左京区黒谷町)

石造王鞬南居士像
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本堂前に置いてある鉢植えのハスが開いていた。この地で法然が念仏を唱えていると、紫雲がたなびいて悟りを結んだのが、金戒光明寺の始まりだという。念仏堂を覗くと、法然が腰掛けたという伝説の「紫雲石」があった。境内西にある不動明王の横にちょっと風変わりな石像がある。右手に蓮華を持った像で、正面にかろうじて「杳山王鞬南居士(ようざんおうけんなんこじ)」と刻まれてるのが読める。居士と言うのは在家の仏教帰依者のことであるが、戒名の末尾につける尊称ともなった。さらに台座の下には「大明国福建道福清県六親法界等」と彫り、左側に「清誉浄心法師」と刻んである。王鞬南という人物について調べてみたが、ネット上では極めて乏しい。別の資料で分かったことだが、慶長元年(1596)医師として日本に帰化、元和年間にこの西雲院開である基宗厳法師を頼りに落髪、ここに住んだようだ。詩文や筆法に精通していたようだが、正保2年(1645)に没したことが分かっている。従ってこの像が作られたのは江戸時代初期ということになるが、長い年月にわたり風雪に晒されてきたにも関わらず、陰影が明瞭で失われていない。

2014年7月14日

島は海のもの:台湾×日本 若者トークセッション

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日 時:7月26日(土)18:30~20:30
場 所:キャンパスプラザ4F 第4講義室
会 費:300円
主 催: 長谷川羽衣子とeみらいをつくる会

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2014年7月13日

幕末「島津斉彬撮影の図」に見る薩摩藩の先駆け

島津斉彬撮影の図 「照国公感旧録」より(沖縄県立図書館蔵)

日本に銀板写真カメラが渡来したのは嘉永元年(1848)で、長崎の商人、上野俊之丞がオランダから輸入したものだった。そして日本人が日本人の撮影に最初に成功したのは安政四年(1857)、市来四郎など薩摩藩の若い研究者たちが撮影した藩主島津斉彬の肖像写真だった。斉彬は藩の科学者たちを主導して銀板写真技術の研究を推進させたが、藩主を継いだ島津忠義も無類の写真好きであった。彼は最後の藩主となったが、フランスから輸入された暗箱カメラやステレオカメラ、慶応末にはイギリス留学の藩士から送られてきた暗箱カメラを愛用していた。幕末から明治時代にかけて彼が写した島津家の人々や、鹿児島をはじめ各地の風景写真が残されている。ところで最近「島津斉彬撮影の図」の木版画が沖縄県立図書館にあることを知った。明治32年(1899)に刊行された「照国公感旧録」である。照国とは島津斉彬の神号で、祀った照国神社が鹿児島市照国町にある。古写真そのものが残っていても、どのように撮影したか固定するのは難しい。そういう意味で第一級の史料だろう。

2014年7月12日

第39回 2014年 JPS展 京都会場

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京都会場
場 所:京都市美術館別館
京都市左京区岡崎円勝寺町124 (アクセス
会 期:2014年7月22日(火)~7月27日(日)
時 間:9:00~17:00(入場は16:30まで)

主 催: 公益社団法人日本写真家協会
共 催: 東京都写真美術館
後 援: 文化庁・東京都

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2014年7月8日

写真コンテストからフィルムカメラを締め出したニコン


これはニコンの写真コンテスト作品募集のウェブページをキャプチャーしたものだ。応募する気はないし、関心もないのだが、このコンテストに関してはひとつだけ思い出がある。ずいぶん昔のことになるが、毎年暮れに同社のカレンダーを頂いていた。月ごとにコンテストの入選作品が載っていて、撮影データーをチェックしたことを覚えている。当初はコダクロームが占めていたが、富士のリバーサルフィルムに移り変わっていったのが興味深かった。ところで今年の応募要項だが、写真部門は次のようになっている。
スマートフォン、デジタルスチルカメラ(中判以上のデジタルカメラも含む)など、静止画を撮影できるすべての機器で撮影した画像データ。カメラアプリ、編集アプリ、ソフトウェア等を利用し処理・加工した作品の応募も可能です。カラー、モノクロを問いません。(フィルムカメラで撮影し、スキャナで作成した画像データの応募は受け付けておりません
要するにスマートフォンなどデジタルカメラすべてがOKで、しかも画像加工しても構わない。ところがフィルムで撮ってスキャンした作品は駄目だと言うのである。関心を持っている人しか気づかないであろう一項だが、私は海外のサイトの批判記事でこれを知った。日本ではデジタルカメラが写真界を席巻した観があるが、海外ではまだまだフィルムカメラで作品作りをしている人が多い。それにニコンはまだ2種類のフィルムカメラの販売を続けている。私企業の催事とはいえ、ちょっと気になる動きではある。

PDF  ニコンフォトコンテスト応募規定(日本語PDFファイル 909KB)

2014年7月5日

米国独立記念日の星条旗羅列に辟易としたが

ブルックリン橋の祝賀花火(1883年5月24日)クリックすると拡大

昨7月4日はアメリカの独立記念日で、フェイスブックの私のタイムラインは星条旗の満載羅列でいささか辟易とした。日本の建国記念日、すなわち旧紀元節に日の丸が流れることがないが、これはお国柄だろう。スウェーデンからアメリカに移住、組合運動でフレーアップ、処刑されたジョー・ヒルの写真を私は掲載したが、たぶん誰も皮肉とは受け取ってくれなかったと思う。ところでニューヨークのメトロポリタン美術館が「プリント&ドローイングで見る花火技術の400年」とタイトルしたPDFを、この日に合わせて公開した。祝賀の意味だろうと思うが、歴史資料として興味深いのでダウンロードした。以下にPDFファイルのリンク先を掲載しておきます。

PDF  Fireworks!: Four Centuries of Pyrotechnics in Prints & Drawings(PDFファイル 32.2MB)

2014年7月3日

首がすげ替えられた阿弥陀如来坐像

誓願寺本堂内陣(京都市中京区新京極通三条下る)

赤く縁どりされた山門の左に「迷子みちしるべ」の石柱が立っている。右側面に「教しゆる方」、左側面に「さがす方」と彫ってあり、昔はここに迷子探しの張り紙をしたようだ。階段を上がり本堂に入ると、大きな阿弥陀坐像が目に飛び込んできた。寺伝によると、天智天皇が本尊の阿弥陀如来の完成とともに仏堂が建立され、七堂伽藍が完成して誓願寺と名づけられという。しかしその像は火災で焼失、現在あるのは京都府八幡市の石清水八幡宮から移されたものである。1868年に明治政府は神仏判然令を発し、神社と寺院を分離独立させた。これによって全国各地で廃仏毀釈運動が起きたが、この像はその難を逃れたと言ってよいかもしれない。寄木造り布貼りの丈六の座像で、平安時代後期の定朝様で、鎌倉時代から南北朝時代の頃の作と見られている。ただ拝観の栞やHPの記述にはないのだが、実は頭部と身体は元々別のものであった。いつ繋ぎ合されたか不明だが、額に浮いた金箔の状態から推測すると、かなり前、少なくとも明治以前と思われる。山門を出ると、観光客や買い物客が行き交う新京極通の喧騒が、再び戻ってきた。

2014年7月2日

集団的自衛権行使容認暴走政権の三悪童

きつく叱ることにしました「坊やたち 壊憲ごっこは もうやめろ」 ©工場長‏@kohjohcho

2014年7月1日

ナチス式敬礼を拒否したアウグスト・ランドメッサーの写真

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ひとりナチス式敬礼してない男のこの写真は、トルコの非営利サイトからダウンロードしたものだ。男の名はアウグスト・フリードリヒ・ランドメッサー(1910年5月24日 - 推定死亡1944年10月17日、死亡認定1949年)で、1936年6月13日、ドイツ海軍の練習船ホルスト・ヴェッセルの出航集会で撮影されたものだという。かなり有名な写真のようで、ウィキペディアに詳しい説明が載っている。写真は1991年3月22日付け「ディー・ツァイト」紙に掲載されたが、この人物が本当にアウグスト・ランドメッサーであるか確定が難しいという。しかし次女のイレーネ・エクラーが写真の人物を父ランドメッサーであると主張したことから、米国「ワシントン・ポスト」やフランスの週刊誌「レクスプレス」などで取り上げられ、人々に知られるようになっていったとのことである。議員の数を頼りに独裁政治に走りつつある安倍晋三首相や、日の丸、君が代にご執心の橋下徹大阪市長に見せたい写真だ。こんな人間もいたのだということを。