2013年2月28日

上七軒のお茶屋「吉田家」の切ない思い出

勝恵美 1995年4月 北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

静香(京都市上京区今出川通千本西入る)
西陣の喫茶店「静香」にふらりと立ち寄ったら、壁際に飾られた上七軒の芸妓、舞妓の団扇が目に止まった。上七軒は北野天満宮の東側に軒を並べる小さな花街だが、懐かしくも切ない思い出がある。京都には祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、島原といった花街が残っているが、上七軒が歴史的には一番古いということになる。かれこれ30年も前になるだろうか。こじんまりしたたたずまいに惹かれた私は、大正時代、同じ舞妓同士だった仲の祇園の女将に紹介してもらい、上七軒のお茶屋「吉田家(よしだや)」に通うようになった。その吉田家は当時「おっきいおかあさん」こと大女将の吉田悦子さん、そして「ちっちゃいおかあさん」こと娘の泰子(ひろこ)さんが切り盛りをしていた。上七軒は戦後舞妓が途絶えたが、泰子さんがその復活一番バッターになった。舞妓を卒業したあと、東京新橋の「金田中」に修行に出た。新橋演舞場のすぐ横にあるが、佐藤栄作元首相がここで倒れて有名になった料亭である。

大女将の悦子さん自身も昔は舞妓だったが「ウチは舞妓極道どす」というくらい舞妓好きであった。そして待望の舞妓を生み出した。それが勝悠喜(かつゆき)さんだった。泰子さんには子どもがなく、この勝悠喜さんを養女にして、将来の女将にするつもりだったようだ。しかしそれは夢のまま終わることになる。2001年の春ごろ吉田家は店仕舞いをした。泰子さんの健康状態が悪化したためだった。その前年の12月、私は「イスタンブル素描」という個展を開いたが、唯ひとりプリントを購入してくれたのが彼女だった。翌秋になって泰子さんは他界した。脳腫瘍だった。数年後、母親の悦子さんもこの世を去った。そして祇園、先斗町、上七軒と流転した私のお茶屋遊びに終止符が打たれたのである。建物はその医師・藤村直樹さんの斡旋で売却され、現在は豆腐料理店になっているが、お茶屋の趣は残っている。二人を看取っ藤村直樹さんもこの世にいない。団扇に勝喜代(かつきよ)姐さんの名があった。80歳代後半、ギネスブックものの芸妓だが、足に衰えがあるものの、踊りはまだ達者だという。3月25日から「北野をどり」が始まるが、久しぶりに出かけようか。

2 件のコメント:

  1. 先生、ご無沙汰しております。お元気ですか。
    吉田家の表でお手伝い(1996-2001)していた「りっちゃん」です。店仕舞いとおおきい母さんの引越しまでは覚えておりますが、院を卒業、しばらくして渡米しましたのでおおきいお母さんと藤村先生の他界は知りませんでした。ゆみさん、ゆいさんたちはまだ上七軒にてご活躍でしょうか。みなさん、懐かしいです。


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  2. りっちゃん、お久しぶりです。掲示した勝恵美さんの写真を撮ったのが18年前、月日の流れの速さにに驚きます。吉田家が閉じてからは、上七軒とはすっかりご無沙汰しています。今春の「北野をどり」も結局見ず仕舞い、秋の「温習会」にせめて行ければいいのですが…。

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