2012年10月16日

オッペケペ オッペケペッポ ペッポーポー

おっぺけぺー歌 明治24(1891)年 児玉彌吉刊 (画像をクリックすると拡大表示されます)

曰く「3党幹事長会談 いつまで条件闘争をするのか」「維新が国政本格始動“台風の目”から生き残りへ試練」「小選挙区候補者:自民、公募と併せ、党員投票実施へ」「前原大臣、六ヶ所村視察で 核燃サイクル続ける」「日商会頭、自民・安倍総裁と会談 中小企業対策の強化など求める」「関経連、電力不足の早急な解消を要望 政府機関や民主に」云々…。アトランダムにニュースサイトのヘッドラインを拾ってみたが、眺めてるだけで気持ちが沈みかけてしまう。「維新の会ミジメな凋落」にしても、言いかえれば「安倍氏の浮上で“亜流”橋下氏は墜落」に過ぎない。とはいえ、元気を出して政治の現状に立ち向かわねばならない。突然だが川上音二郎(1864-1911)の「おっぺけぺー歌」を引用してみよう。
権利幸福きらゐな人に自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい
オッペケペ オッペケペッポーペッポーポー
堅い上下(かみしも)角とれてマンテルヅボンに人力車
意気な束髪ボンネット貴女(きじょ)に紳士のいでたちで
外部の飾りはよいけれど政治の思想が欠乏だ
天地の真理がわからない心に自由のたねをまけ
オッペケペ オッペケペッポ ペッポーポー
これである、これぞ元気薬である。作者の川上音二郎は筑前黒田藩出身の興業師で、自由民権運動弾圧下、この政治風刺歌を寄席で歌い一世を風靡した。明治33(1900)年、前年のアメリカ興業に続きパリ万博で公演、翌年の欧州巡業中にフランス大統領エミール・ルーベより官邸のエリーゼ宮殿にて、オフシェー・ド・アカデミー三等勲章を授与された。パリ万博での一座をイギリスのグラモフォン社が録音、これは1995年に再発見されている。ただし川上音二郎の声ではないが、レコード黎明期の貴重な録音である。音二郎の壮士節は演歌、つまり演説の歌だったが、これは添田唖蝉坊らに引き継がれていった。演歌は艶歌に変じて政治性を失ったが、その一方、1970年代に高田渡が唖蝉坊の歌を歌ったのは記憶に新しい。まさに日本のフォークソングのルーツなのである。自由湯を飲ませたい輩は山ほどいる。

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