2011年9月25日

庶民の信仰の深さが石仏たちを救った

千体石仏群 清水寺(京都市東山区清水) Fujifilm Finepix X100

大日如来 Fujifilm Finepix X100
清水寺に出かけた。好天の連休、参道は人で溢れかえっていた。中国語が飛び交っていたが、放射能騒ぎで遠のいた海外の観光客も少しずつ戻ってきたようだ。急こう配の石段を上って朱塗りの仁王門をくぐり、さらにまた石段を駆け上がると、随求堂の前に出た。石の道標があり、右が舞台がある本堂、左は成就院と矢印が指し示している。観光客の流れは当然のように右に折れて行くが、私は左に逸れる。千体石仏群が目当てだ。中央手前に千手観音像、そして斜面に、地蔵菩薩像、そして二尊仏とさまざまな石仏が並ぶ。風雪で目鼻の輪郭が乏しくなったものが多く、かなり古いものも含まれているようだ。同寺のウェブサイトによれば「明治の廃仏毀釈の際に、捨てるに忍びないと、地蔵信仰の篤い京都市民から寺に運び込まれたもの」だという。

廃仏毀釈の嵐は凄まじく、各町内の大日堂や地蔵堂などに祀ってあった石仏が紙屋川や鴨川に捨てられたという。それでは余りにもも哀想というわけで、壬生寺やこの清水寺などの寺院にも運び込まれたようだ。庶民の信仰の深さが石仏たちを救ったのである。土産物屋が並ぶ参道は松原通りだが、坂を下って東大路通りを越すと「六道の辻」に出る。要するに清水寺の辺りも葬送の地、鳥辺野(とりべの)であった。中世、庶民は墓を造ることが禁じられていた。代わりに石仏や石塔を造って死者の冥福を祈ったようだ。庶民自らが彫ったもので、いずれも小さいのはそのためだという。化野(あだしの)念仏寺に夥しい数の石仏があるが、この地にもかつて無数にあった可能性があり、一部がここに残ったかもしれない。無常に思いを馳せ、斜面を見上げると、木々の間から細く美しい光線が漏れてきた。

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