2011年4月15日

ゾーンプレート写真論考のための覚え書き

チューリップ 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)Nikon D80 + Zoneplate

ジョセフ・ニセフォール・ニエプスの研究を引き継いだ、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが考案した銀板写真術、ダゲレオタイプがフランス学士院で発表されたのは1839年だが、その僅か40~45年後ころからカーボンやゴム、オイル、ブロムオイルなどを使った印画法が流行り出した。ソフトフォーカス画像だったが、絵画における印象派の様式の影響を受けたもので、後にピクトリアリズム(絵画主義写真)と呼ばれるようになった。20世紀の初期に最高潮に達するが、これは写真映像の最も特徴的な側面である明解性を排除したものであった。写真家ジゼル・フロイントは『写真と社会』(御茶の水書房)の中で
写真が絵画に似て見えれば見えるほど、無教養な大衆はそれが「芸術的」だと思ったのである。ありとあらゆる修正・化学処理の技術が動員されて作られた。
と手厳しく批判している。それはともかくピクトリアリズム写真は、アメリカではアルフレッド・スティーグリッツ、日本では野島康三がこの運動を牽引、一世風靡したが、1914年ころになると急速に衰える。スティーグリッツは写真本来の明解性を追求したストレート写真に回帰、日本では雑誌『光畫』第1号で野島の盟友であった伊奈信男が「写真に帰れ」という論文を掲載、新興写真が勃興することになった。

このようにピクトリアリズムはあっという間に衰退したが、ソフトフォーカスあるいは不鮮明な写真は別のカタチで現代でも受け入れられている。ヴォルフガング・ウルリヒ著『不鮮明の歴史』(ブリュッケ)も触れているように、20世紀末にロシア製ロモLC-Aなどを使ったトイカメラブームが起こる。文字通り安価な玩具のごときカメラが作る画像は、普通のカメラが追求する高解像度とは裏腹に、不鮮明である。ボケていれば失敗作だと思われた写真を、人々は作品として好んで受け入れるようになったのである。いわゆるロモグラフィにあるのは「良い写真や下手な写真は存在しない」という思想で、ピクトリアリズムとは趣がやや違う。

しかし不鮮明な写真を受け入れるという点では相通ずるものがある。何故なのか、いささかその理由を突き詰めるのに窮する。ひとつ挙げれば、通常の人間の視覚と異なった画像に惹かれる、という説明を思いつく。つまり「変わった感触」の心地よさである。ではピンホールやゾーンプレート写真はどうだろうか? ひとつ思いつくのはレンズを介さないカメラ、所謂レンズレスによって写真本来の明解性を放棄しているという点を上げることができそうだ。しかし、それだけでは余りにも説明不足である。以上の大雑把な覚え書き下敷きに少しずつ考え繋ごうと思っている。

※下の写真は Canon IXY Digital 10 で撮影、いずれもクリックすると長辺1024ピクセルの画像が展開します。

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