2014年7月27日

法界寺の阿弥陀如来はなぜ南を向いているのだろうか

蓮池  法界寺(京都市伏見区日野西大道町)

国宝阿弥陀如来坐像
南山城浄瑠璃寺の境内図を見ると、池をはさんで西側に九体の阿弥陀坐像を並べた阿弥陀堂、東側に薬師如来坐像を安置した三重の塔が、同一軸線上に向かい合っている。平安時代中期、貴族社会に迎えられた極楽浄土への欣求は、仏堂を観想念仏のための道場と言うより、浄土の有様を現世に実現すべく造工されるようになった。その典型が宇治の平等院だが、京都市伏見区の法界寺もまた藤原氏の一族である日野家の権勢によって創建されたものである。蓮池の東側に建つ薬師堂の秘仏、重文の木造薬師如来像は西を向いている。しかし池の西側には仏堂がなく、薬師堂の北側に阿弥陀堂がある。内陣須弥壇上に結跏趺坐した国宝の阿弥陀如来坐像が安置されている。極楽浄土を体現するなら東に向いているはずだが、なぜか像は南向きだ。かれこれ10年前に参詣したときに住職に伺ったところ「複数の像が作られたが、その一体が残ったためではないか」という答えが返ってきた。先日再訪して尋ねたところ「複数の阿弥陀堂が造られたためではないか」と、ほぼ同じ返答があった。それならどのような伽藍配置をしたのか、という疑問が湧くが、重ねての質問は遠慮した。手元の新人物往来社編『日本「寺院」総覧』には「薬師堂、阿弥陀堂、を中心に観音堂、五大堂、弥勒堂、奥の院等多くの堂塔伽藍が甍を接したが、度々の兵火により境内は現在のように縮小された」とある。現在の阿弥陀堂は鎌倉前期に再建されたものであるが、池の西側には敷地がなかったのだろうか。それとも境内東側の山々を借景とするために、敢えて現在地に建てたのだろうか。この10年間の謎が未だに解けない。

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